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画像なので続き。
まあ、そういうことだ。中村主水(藤田まことさん)追悼記事とか見て回ってたせいでちょっと時代劇的死生観になった気はするけど。時代劇的っていうか、殺し屋的? 剣客的?
とにかく復讐をたやすく正当化するのが嫌いだ。
自分のためだと言ってしまえよ。もしくは自分も敵と同じクズだって自覚しろよ。
ここでジョジョの話を出すのも信者っぽいですが、それでもだ。ジョナサンの心中とエルメェスの仇討ちは理想という言葉はキレイ過ぎるかもしれないけど、それでも、あああるべきだと思う。
殺すのは殺される覚悟をすることだろ? 同じ地獄に落ちる覚悟をすることだろ?
誰かが死んだ、殺された。仮にそれを許されざる蛮行だとして、しかし、それを裁く権利なんかお前にあるのか? 無いなら無いと開き直れ。せめて。
復讐の権利は、殺された誰かの、誰に? 親に? 子に? 恋人に? 配偶者に? 親友に? 死んだあの人は、果たしてお前のあの人なのか? あの人はあの人自身のあの人でしかない。復讐の権利もまた、あの人自身にしかない。
それでも復讐するというのなら、自分のためだと開き直れ。なあ、自分の気持ちに決着つけるためだろ? そしてそんな自分だって、相手と何一つ変わらない人殺しだろ?
わたしがこういうことを考えるようになったのは、光/市/母/子/殺/害/事/件の報道からだと思います。
あの人はきっと、殺して殺される覚悟をしている。もしも法で裁かれないなら、刺し違えてでも葬り去ろうとしている。
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