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“道”と“学”がすべて。
わたしの好みが、この2つですべて説明つく気がする。この概念、広く適用できる。
道と学が、わたしにとっての最高の快感なんですね。そういう美しいものに、触れたい、同化したい。その対象はどんな形でも構わない。実在の人物だろうと、何らかの作品であろうと。ただ、道や学として完成させられるのは、後者である場合が多いから、そちらに嗜好は偏ってしまいがちですが。でも、大人になって実在の一個人や団体についても客観的に、即ち道や学として捉えられるようになったので、今ではかなり楽しめてますけどね。
で、特に漫画を読むときの楽しみ方。
(1)描かれている内容を道・学として楽しむ、(2)描かれ方の技術・技巧をを漫画的究道として楽しむ、(3)作者自身について道・学的な見方をして楽しむ、(4)数作品ないし数人の描き手を比較・分類して漫画学として楽しむ
という、4パターンがあるようです。て、このまとめ方も学っぽいですね。
そういう見方だから、漫画のキャラクターより作品全体について共感しやすいんですね。(1)のうちキャラクターの生き様がどうなり学なりとして描かれている場合は、比較的キャラクターにも共感するかな。
且つ、どうにも趣味が古いのも、道なり学なりといえるようなものは最近の作品より昔のものに多いからってことで合点がいく。うん。そうだわ。硬派を選びがちなのも。サブカルの個人的な語りが嫌いなのも。ジブリを初めとするライフワーク的な作品は作品そのものはほとんど見ずに製作背景に目がいくのも。
でもそれでいて、そんな見方しかできないわたしをぶち破るくらいの衝撃を誰か与えてくれよ!!!という我儘な欲求もある。そして、それを叶えてもらえたことも何度かある。
描く楽しみとしても同様で、主に道や学の発表ですね。内容がそうだったり、描き方がそうだったり。
二次創作なら、例えば銀魂なら基本は銀魂学。銀魂という作品全体を捉えようとするから、坂本と近藤をくっつけようとしたりするわけです。銀魂の軸(道)が銀登勢で、アウトライン(学)が坂近だと思ってる。だからそれを描ききったらなんか満足はしないながらも描く意味が見出せなくなったというのもありますね。それとは別に沖田総悟道を究めたら坂沖と沖陸奥になったんですけど。
ということを例を挙げつつ書いたのが、この間消えた記事です。まあでも、お陰で無駄なく簡潔に書けたのでよかったかも。と、思うことにする。今日は消えてくれるなよ・・・。
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