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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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みたいな

何度も書き直してきた話題。女がどうとか。

「よ☆しな☆がふ☆み的女という性の窮屈さ」に対して、わたしがある程度の共感をしつつもどうしても違和感が残るのは、わたしの場合、単に「女としてカテゴライズされる」ことじゃなくて、「急に女としてカテゴライズされる」ことが窮屈だからというのが一つ目の理由なんだわ。
子供の頃、たまたまなんですけど、家族兄弟構成のせいもあって、あまり「女として」は育てられなかったんですね。寧ろ男の子らしさを望まれたり、女らしさを咎めれたりすることが多かった。はっきりものを言わないとやっていけなかったし、父親は息子が欲しかったから3人姉妹のうち誰かにいつでもその役割を与えていたし。
そうやって育てられて、突如、小学校に上がったあたりで、否応なく女の子として分類されるわけじゃないですか。でも、そんな急に女の子としてその列に並ぶなんて無理無理無理無理無理無理!みたいな。女の子シートを用意されても、慣れてないからものすごく居心地悪い。それに他の子と並んだ自分が余りに浮いてる。様になってない。落ち着きが悪い。そういうの感じる。え、なに、何なの? あなたたちのその自然さは。みたいな。
そんなとこに並べられて居心地悪いと同時に、ものすごい分の悪さを感じるわけです。そんな今までちゃんとその方法を習ってきた子達と並んでスタート!なんて、何の訓練も施されてない自分にとってはものすごく不利じゃないか。みたいな。そう、みたいな。
女らしさ自体への違和感というより、急に女の子として分けられたことによる居心地の悪さ、そしてそこからのスタートを余儀なくされることへの不利・不満。そういうのなんだよね。
その後、こっそり自主トレをして、それが自主トレだったせいもあるかもしれないが、女らしさ自体は自分に向いてなくもないと受け入れられたしね。多分肉体的にはかなり女性的だから。それに、女という性に甘んじて生きていくのって、楽だし得だとも思った。だから、女として生まれたことを不運だの不幸だの窮屈だのと愚痴ってる(いい年して)人に対して、つい、イラッとしてしまうね。
女性として生まれてきたとしても、そこからどう生きるかなんていうのは、性じゃなく個人の問題じゃないのかな? 自分が女らしさを自主トレで身につけたせいでそう思うのかもしれないが、本当に、一体お前は誰にそれを強制されたのか?と。仮に強制されたとしても、監禁・軟禁・スパルタで鍛えられたというのでもなければ、選んだのは自分だろうと。誰に押し付けられたって、強制力なんてないって感じるのは、わたしが他人との繋がりを強く感じられないタイプだからか? 合わないところは合わせたいのでもなければ合わすという選択をする必要なんかないと思うよ。まあ、結局自分のせい。
「女として生まれたから周りの目があって女らしくとか何たらかんたら」みたいなの、思春期の悩みとしてはわかるけど、いい年して繰り返し書くほどのことかあ?みたいな。性以外の問題でもあるだろ。他人や世間との軋轢や摩擦なんて。
女としての半生を振り返ってのひとつの論としては同意できるし価値があると思うんだけど、何度もそんな主張を繰り返されても。というのが、ふたつめの違和感。

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