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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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ブログ文化

浅野いにおの漫画がムカつく理由、あるいは一つの自虐風自慢 「童貞だったあの頃に戻りたいよ・・・orz」
 http://anond.hatelabo.jp/20081213165716

うおー!! 超同感!! 的確すぎるわこの表現。「安全装置つきの欠落」。ああ、まさにそれ。
いや、そんなに読んだことないんだけどね。わたしにとっては、「ぼくらの」も「ボーイズオンザラン」も最近の日本橋ヨヲコ漫画もおんなじ。「それ、漫画に描くほどの内容?」って思ってしまう。もっと言うと、「それ、話にするほどの不幸?」っていう。わたしが嫌うサブカル漫画の特徴はまさにこれ。日記に書いとけよそんなもの。ああ、これって、ブログ文化って名付けたらいいのかな、もしかして。
そういったものへの否定の感覚を極めていった結果、わたしはジョージだの平田弘史だのに辿りついたわけですが。萩尾望都とか。そこまで描いて下さいよ。そこまで掘り返して自分と切り離して、作品にしてくださいよ。

浅野いにおや「ぼくらの」や「ボーイズオンザラン」ならまだ、野島伸司の不幸ごっこのほうが作品として価値があるような気がする。尾崎南とか。って、こういうあたりと比べると、いくらでも異論は出てきそうなんだけど。どこで線を引くかって、かなり個人的な感覚だからね。
わたしの場合そこの線引きってのは、共感するのにどれだけの実行力がいるかってとこかな。勝手に思ってるんだけど、ああいう不幸ものに共感する人って、自己の正当化とアイデンティティの確立が目的なんじゃないでしょうか。そこで、浅野グループは、共感するのが結構楽なの。自分に簡単に似たとこを見つけられるの。または、似たものになるためにそこまで努力もリスクを負うことも必要としない。
しかし後者はどうだね。野島伸司のドラマ(不幸もの)の主人公に共感しようと思えば、同様の不幸を背負おうと思えば、現実でかなり生き辛い行動をしないといけないんじゃないかね。あるいは尾崎南の絶愛なんて、言うに及ばず・・・・・・。だからこっちは共感より、他人の不幸は蜜の味的、もしくは恋愛ファンタジーとしての不幸の追体験的な楽しみ方をするものなのかもね。好き嫌いは別として、そういう作品というのはアリだと思う。
あの、誤解されないように言っておきますが、前者より後者に共感できる人のほうが良いって言ってるわけではないので。前者に共感して楽しむっていうのが個人的に気持ち悪すぎるって話です。

ちょっとちがうけど、よしながふみについても個人的には感覚が近い。
何作かなら気にならないんだけど、ならなかったんだけど、それなりに著作を読んでみると、心の中になんともいえないわだかまりが生まれてくる。あの人の描くちょっとした不幸が癇に障るようになる。
「お前、実はその不幸のこと何もわかってないだろ?」って思ってしまうんですけど、それって自分だけですか?
あの人の描く不幸って、作品の一部としてはちょうどいいリアリティなんだけど、毎作毎作ああいう人出してこられたり話のメインに置かれたりすると、充分に薄っぺらい。自分自身はそこまでの経験はなくてでもそういう人を外から見ててわたしはわかってるよわかってあげるよ・・・っていうのが気持ち悪い。わかってくれなんて頼んでねえよ!!と、すっごく腹が立ってくる。
で、あくまで、「ちょっとした」不幸であるところが、わたしを余計に苛立たせるんだと思う。その程度の不幸ならわたしだって経験してるからだろうな。それをちょっとだけ高いところからしたり顔で手を差し伸べられてるみたいに感じられるからね。
勿論、他の経験者の中には、別にあの描かれ方に腹が立たないって人もいるんだろう。共感できて傷を癒される人もいるんだろう。でも、わたしは無理だ。なぜなら、わたしにとってはわかってなんてもらわなくて結構な程度の不幸だから。

そうだなあ。わたしの嫌うサブカルって、大体そういう共通点があるような気がするわ。

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