[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
≪ 怪談 | | HOME | | 夏ですね! ≫ |
強さというのは結局のところ、生きる力じゃないかと思うのです。
生きる力の強い人には敵わない。
何事にも動じない人。何を犠牲にしようと平気な人。迷いのない人。
そして、何より、体と心の強い人。生物として強い人。
うちのダリオ・ブランドーがそういう人なんですね。
88歳にして視力は1.2、急な坂も自転車を漕いで上りきり、歩くのも早い早い。声もでかい。田舎の一人暮らしで特には不自由がないらしい。
病気をしない。怪我はすべてメンソレータムで治す。(←マジで) ネズミくらいなら平気で踏み殺す。(←実際見た)
そして都合の悪いことは耳に入れない。他人(自分以外の人)の気持ちをどのようにどれだけ踏みにじろうと心は微塵も痛まない。
(他にもエピソードは枚挙に暇がないけれど、暴露できる範囲はここまで)
こういう人はね、本当に生きる力が強いと思うのですよ。
会うたび、わたしはこの人と戦った場合、間違いなく淘汰される側の種だと思い知らされます。
本当に、何のためにこんなに強いのだかわからないんだけど、本当に強いんです。生物として、絶対に勝てない。
全てのものは彼女の前では踏みにじられてしまうんです。もうね、他の人間なんかありんこですよ。
圧倒される。生命力に圧倒される。
悪とか正義とかね、正しいとか間違ってるとかね、そんなこと何の意味もないんです。
そんな理屈って、所詮弱者の逃げなんだなあと痛感する。強者にそんな軟弱な小技必要ないんですね。
勝てば官軍てわけじゃないんだけど、でも、負けたら、死んだら、終わりじゃないですか。現実として。
だからこそ最後の手段として宗教なんてものがあるんだと思うけど。ほんっとあんなもん、弱者の逃げですよね。
近年、遠くからそのあまりに強い生命力を臨んだら、ただただ圧倒されました。人はここまで強くなれるのか・・・と。
ある意味感動した。尊敬すらする。否定できない。それだけの力が自分にない。
という経験をしたら、DIOってスゲーなーってなるんですね。
あのダリオを殺したんだもの・・・。それってリアルに考えるとすごいことよ。
そのときはまだ精神的には父を踏み越えられていなかったけども、人間をやめた後は、もしかしたら精神的にも克服できたのかもしれない。だとしたらほんとにすげえよ・・・。
そういう視点で読むと、行為の残虐性だけでジョジョの悪役を悪だと言うのって、ものすごく無意味に思える。
「悪? だから何?」みたいな。「で、どうするの?」っていうさ。それこそ「無駄無駄無駄無駄ァ!!」ですよ。
あの話が成り立ってるのは、実際に主人公たちが悪を悪と言い切って、最終的には倒すからなんですよね。葬り去るだけの力があるからなんですよね。
そうでなければ、お前は悪だなんていくら叫んでも、負け犬の遠吠えですよ。
実際に戦うべき相手、葬り去るために全力を尽くす覚悟のある相手。
そんな相手に対してしか、悪だなんて言えないと思う。
最近、正義論を詰めてます。
何でわたしこんな物騒な内容の日記を書いてるんだろう・・・。冷静になったら気づいた。
≪ 怪談 | | HOME | | 夏ですね! ≫ |