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水城せとなの描く恋愛は経済学だ。そうだ、そこが清々しいんだ。というか人生のすべては経済学である。その都度、ある中で最高の選択肢を採る。その繰り返しが人生であり、それが経済学であり、恋愛もその一つだ。しかしこと恋愛に関しては、計算がそう単純にはいかない。なぜならその対象がたった一人の他人であり、損得勘定の唯一の基準たる自分の心さえ不安定だからだ。
数撃てば当たる大勢ではなく、唯一のたった一人に当てるべき弾をどう撃つか。その計算は通り一遍の確率では済まない。が、対象を知ることができれば、ただただその対象にまっすぐ向かい、至近距離でぶつければいいだけの話である。
って、ほんとそれだけの話じゃないか????
とはいえ実際、他の選択肢を捨てて対象にまっすぐ向かうことは人生においてそう簡単ではなく、往々にして決算は赤となりがちだ。且つ、対象を知る過程は存外自分の精神に対し残酷である。踏み出すより先に、そこで心が折れても仕方ない。恋愛を「する」というからには、自然にそばにあるものを対象としてはあり得ない。自然にそばにない、人格ありそれ自体も損得勘定をなす個体を手元に確保しようだなんて、それならば、自分の人格と損得勘定を捨てることにもなりかねないのではないだろうか? もしくは、相手の人格を無視し損を押し付け、自分は悪者になりきるか? どちらにせよ、そこまで人生を恋愛に懸けられるか?
人間ある程度生きていれば捨てられないものはあるわけで、それが社会的地位であったり財産であったり家族であったり主義であったりするわけで、それを危険にさらしても恋愛を「する」のか? とあくまで選択を繰り返す経済学。その一つたる恋愛。他の要素と両立できる範囲で妥協して見つけた恋愛だとか別にそれはそれでいいんだけどそれを正当化剰え神聖化するようなのはまあ別にそれはそれでいいんだけどそれはそれでいいのならそれはそれでいいじゃないの。とは思うよ。
ああ、こう考えると水城せとなの恋愛観はヤマシタトモコの描くアレとは決定的に相容れないわ。だってアレ、計算が下手すぎるもの。だってどや顔で赤字出してんだもん。赤だ赤だって被害者面してるけどお前が家計簿レベルの計算できてないだけだから!
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