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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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体と母

わたしは江☆川達☆也と内☆田春☆菊が嫌いです。この2人の、いい年して「自分、セックスしてます」アピールをいつでもどこでも怠らず憚らないところが嫌いです。だって、みっともないじゃない。大人なんだから、そんなもん勝手にやってりゃいいでしょうよ。おっさんおばさんの下半身事情なんか誰も聞きたくない。
でもここ最近、嫌いは嫌いだけど(だってみっともないから)、少し同情的に(そんなみっともなさも仕方ないかくらいに)見れるようになった。うん、当事者からしたら余計なお世話だろうけどな。そういう意味での検索除けなので、そこんとこよろしく。

母と子は、体で繋がっている。唯一の、自分が生まれてきた別の体。しばらくその中で育まれた体。そして物理的に切り離されてからも、食という形で繋がり続ける関係。自分を物理的に構成するほぼ全てを、人間は母から与えられる。その繋がりを絶つ最も効果的で決定的で且つ最低限の安全性を保てる方法が、他人との性交渉なのだ。或いは絶食。そのような、自分の肉体を傷つけたり否定したりする行為。
ということについて、つい最近までのわたしはあまりに無自覚だった。しかし、振り返れば自分だって充分そうだった。遅れて(多分)まとめて反抗期と思春期がやってきた高校時代、わたしはひたすら自分の体を粗末にばかりしていた。絶食から自殺未遂まで。そうか、あれは、生まれて育まれて、親と繋がって存在してきた体を完全に自分ひとりだけのものに作り変える行為だったんだ。それが、反抗期。そしてその自立を望み、ままならなさに焦燥するのが思春期。
喩えて言うなら、わたしは産道の途中で抜け穴を見つけたせいで、自分を繋ぐ臍の緒に、あまりに無自覚で無頓着だったんだと思う。見えてすらいなかった。ゆえにそれを正体不明の不自由として、ずっと引きずっていたんだ。見えてもいないものだから、断ち切るなんて思いつきもしなかった。その、どこからが自分でどこまでが母なのかわからない軟体動物。骨もないくせに長い年月で太く硬く筋張って、今更どうすればいいのかわからない。
という状態で、現在に至る。
ということを、認識できただけでも、少し楽になった。

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