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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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はみだしっ子を2回どおり読みました。つまりこの作品のテーマは、
罪と咎
ということでいいんですかね。


罪とは。咎とは。
罰ではなく、咎。誰も罰しはしない。だが、咎める。
そうですよね。この作品て。

親を、子を、愛せない。それは罪ではない。
「普通に」「まともに」できないことも、罪ではない。
少年が、牧師が、心を閉ざす彼女を救えなかったことも。
しかし或いは咎められ、或いは看過される。その差は何なのか。
差を明確には指摘できないのに、世の中では何故か完全に2つに分かたれている。

そういうことですよね?

そこでわたしなら、それらはあくまで結果であると。
何故か、と問われれば、全てがその原因であり理由であって、一つ一つの選択の結果、いつの間にかそのレールに乗ってしまっているんだと、そういう結論をつけるんですが、果たしてこの作品としてはどうなんでしょうね? ちょっとそこが理解できない。
というか、その理不尽さがテーマなのかな? 理由や結論はいいのかな?
それを1回読んで理解できなくて、2回読んでみたんだけど、結局そういう感じです。

この子達かわいそうなんだよ! なんていう、まあ感想なら別にいいんだけど、そういう読み取り方だと、あまりに浅はかですよね。
不幸な境遇に生まれ育ちながらも、屈せずに強く健気に生きて幸せを勝ちとる・・・という話でもないと思うし。
善悪なんてそれぞれの裁量次第・・・っていうなら、その程度のことは読まなくてもわかってるだろう。


そもそも、萩尾望都やバナナフィッシュまでの吉田秋生っぽいものだと、前もって思い込んで読んでたのがまずかったのかな?
あの人たちの作品みたいな、全ての行動の結果、選択の結果、こうしかならなかったんだと、落ち着くとこに落ち着いた感がないので、最後に消化不良になる・・・。〆にと思ってた熱いお茶がもらえなかったような・・・。

そういう意味で難しいです。三原順。

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