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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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回れ右前へ進め

という号令が、高校の体育であった。回れ右をしてそのまま前へ進めというやつ。集団行動に力を入れる気持ちの悪い学校だったなあ。そんなとこに憧れて好き好んで入った自分が悪いんだけどさ。
あの集団行動の授業が死ぬほど嫌いで、絶対に号令役しかやらなかった。だから未だにこの動作はできません。
それなのに、それだからこそ、まさか今になってその号令どおりの気持ちになるとは。

もしかすると、自分はもっと、自分を肯定していいんじゃないか。少なくとも子供にはそこそこ好かれたり信頼されたり甘えられたりする自分を。やけに高齢者受けのいい自分を。だってそれは、この高齢化社会においては、つまりかなり許容され肯定されているということだとも言えるかもしれないのだから。
いつだって自分が嫌いで、自分が属する集団が嫌いで、だから群れず、あくまで人とは1対1でつきあって、長期的で安定的なつきあいは狭く狭く限定されて、それはそれでいいとしても、もう少し、自分は世間で特段間違っている側ではないという認識くらいはしてもいいんじゃないだろうか? くらいの。自分は間違ってるけど、お前らに否定される筋合いはないよ、なんて構えは、もう解いていいんじゃないのか。とか。
だってそんな人間、つきあってるほうも疲れるもんな。めんどくさいよな。自分を全否定って、自分を全肯定と同じくらい疲れる。

何か最近自分て病的かなあと思いはじめたのは、考える漫画の内容という内容が全て、自分(的な人生に対する)否定になったから。
母親を蔑ろにして、本質的には自分に向いていないそっちの世界での成り上がりに全てを賭けた結果全てを失うとか。ろくでもない家庭環境で育てられた高校生の息子が、悪気がないことだけはは間違いない母親に反抗してたら取り返しのつかないことになりかけて、「お前自身のためにも母ちゃん大事にしろ」と主人公に諭されたりとか。父を殺した母を殺した少年が早くに自分の幸せを諦めて一生ひたすら親の影から逃げるように生きていくとか。
すげえ自分否定。自分に対し、お前のような人間は存在自体が許されないわけではないがその先には決して幸せはないんだよ、と言い聞かせているようだ。

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