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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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心の穴

こないだ、「公園でザリガニにチンコ挟ませてたら通報された」(←うろ覚え)というスレを見てて、スレ主(通報され主)の
「俺は自分を戒めないとダメになってしまいそうだから週2でザリガニに(以下略)」(←うろ覚え)
という書き込みに、何だかものすごく共感しました。
「戒めずにやっていける社会人はすごい」(←うろ覚え) とも言ってた。まさにその通りだ。わたしもそう思うんだ。でも、わたしは残念ながら、戒めの必要な人間なんです。

ほっとくと体力が落ちる一方だからできるだけ歩く。
適度な体重を維持する。
いらないものは極力捨てる。少し足りないくらいの状態を保つ。
大事にできないものは持たない。

例えば、普段巡回するサイトさんとかあるじゃないですか。
そういうのを、ふと、「本当に巡回しないといけないのか」と、自分に問いかける。なくても平気かもしれない。いやきっと平気なはず。平気に違いない。で、ブクマから消す。
逆に、すごく好きでというか好きだと思っている、好きなはずの何かを、あえて捨てる。依存しそうになると捨てる。そういうものって、意外になくても平気というか、ないほうが健康になれることがあります。タバコや酒のようにね。
サイトだけじゃなく、本とかも。読み返さないなら手放す。
そういうちっちぇーことなら月イチくらいでやってます。

失くしてから、しばらくしてから、それでもやっぱり取り戻したくて仕方なくなったりして、そういうときに必死になって探すのが好きです。見つかってももちろん嬉しいけど、見つからなくて寂しくなるのも好きです。
あのとき手放したお前が悪いんだ。いや寧ろそこで寂しくなるほど依存しているお前が悪いんだなんたらかんたらみたいな、意味不明な戒めを自分に課すんですね。結構やってます。年に20回くらい。

と、ここまで書いてからもしかしてこれって一種の病気なのかなとも思ったんだけど、どうなの? でも、誰も困ってないからいいのか。そうだY医師もそう言ってたから。

なんていうかね、心の穴、なんですよ。
心の穴が欲しいの。満たされてるとダメなんです。たまに穴を開けないとダメなんです。
そしてその穴を、ありあわせの手近な何かじゃなく、自分自身で埋めていく。そう簡単には埋まらないんだけど、それを自分の心の弱さとして(以下略)。

心の穴はできることなら、誰か他人の手で開けて欲しいんだけど、なかなかそういう機会はないですね。
「お前なんか、誰とも関わらず一人で生きていけばいいんだ!! どうせ誰にも何にもしてやれないくせに!!」みたいなことを誰か言い放ってくれないだろうか。
そういう人がいないので、仕方なく田島昭宇とか西島大介を読みます。あの人たちの作品読むと、自分がものすごくちっぽけな何かだと思い知らされる気がして快感です。

これでもわたしをみんなSって言うんだろうか。「自分に対してS」って言われるならそうかもしれないけどね。
いや、でも、確かに他人の心に穴を開けるのも好きですね。だからS?

しかし拳にあご乗せさせてSかMか判断するのあるけど、あれものすごい腑に落ちない。
Sがそこで他人の拳にあごなんか乗せるか? 乗せたとしたらそのときはS性を消してるから、目線なんかで判断できないだろう。

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