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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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恋愛漫画の系譜

(ビッグコミック)スピリッツがね、末期的に面白くないんですよ。
サンデーも、わたしは読んでないからよく知らないけど、むっちゃ部数落としてるらしいじゃないですか。

それって、恋愛漫画の変遷に原因があるんじゃないかと思ったので書いてみる。
あ、スピリッツとサンデーの話というより、恋愛漫画の変遷の話です。

※年代については、わたしの非常にあいまいな感覚なので、あんま気にしないで。
 各々、自分の知ってる時代かそれ以前かくらいの感覚で捉えてください。
 ていうかわたし自身あんまり記憶にないような昔のことまで勝手に書いてるんで。


かつて、恋愛をそう簡単にはしてはいけない時代があったわけです。
明治だとか昭和初期とか、そんな昔の話でなくても、バブル以前(多分70~80年代)くらいまでは、そういう風潮はそれなりにあった。

ていうか今の女子にもあるでしょ。あんま目立つことできないじゃないですか。クラスや学年でハブられないためには。
恋愛なんかすぎるとこまでいっちゃうと、即弾かれる。叩かれる。
あくまで周りの反感を買わない範囲で、正当な理由の元に恋愛を進めないと、とにかく周りからの受けがよくない。
その線引きが、昔は今よりもっと厳しくて、かつ、世間からの風当たりもきつかったという話。奔放な恋愛のリスクがもっともっと高かったという話。

80年代前半くらいまでの恋愛漫画って、主に少女漫画雑誌で繰り広げられていたわけですが、ほんとに夢の世界だったんですね。
そうそう日本の女子に真似できるものではなかった。真似できないこそ憧れる、夢の世界の話。
そもそも舞台が外国だったり(なかよしは全体的にこういう傾向)、主人公が日本人であっても相手は異国や異世界の人だったり。
舞台が違うわ相手がいないわ自分もそんな素敵なヒロインにはなれないわで、ただただ憧れて漫画でトリップするしかなかった、素敵すぎる恋愛模様。
当時の恋愛漫画は、自分にはありえない恋愛に、あくまで憧れるためだけのものでした。

ヤンキーブームとともに、紡木たくらがある程度リアルな、近くにありそうな恋愛を描きもしたんだけど、でもやっぱり、多くの人には簡単に真似できるものではなかったと思う。だってリスクが高いもの。
不良たちの恋愛は時代に乗ってキラキラしてるけど、乗っかるにはリスクがありすぎる。
この頃はやはりまだ、恋愛漫画は憧れる対象でした。

しかしバブルがやってきて、日本が裕福になり、着飾ったり遊んだりできるようになって、少し様相が変わった。
素敵な自分になって素敵な相手と素敵な恋愛ができるんじゃないだろうか? と、そんな時代になってきた。
そこに現れた、等身大の一歩先、現実にありえそうな夢としての恋愛漫画。
それが、あだち充であり、高橋留美子であり、YAWARAであり、ツルモク独身寮であり、もちろん東京ラブストリーであるのではないかと思います。
この時が、わたしが思うに(あくまでわたしが思うに)サンデーとスピリッツの全盛期。
そこには、みんなの憧れる恋愛が描かれていたわけですね。いいよ、自分で恋愛してもいいんだよっていう、ちょうどいい教科書だったわけです。
折しも女子大生ブーム。当時一番華やかだった憧れの存在である女子大生が、等身大で憧れることのできる恋愛漫画がそこにはあった。
「カーンチ、セックスしよ」なんて、もうほんと、そのものですよね。女が能動的に恋愛してもいいんだ! という、一歩先の世界からの許可。

スピリッツとサンデーの凋落は、多分この時代の栄光にまだ縋ってるせいなんじゃないかと思うんですね。
ほんっとに・・・いまさら憧れもしないような恋愛を・・・見せられても・・・。
いつまで恋愛に正当性を必要としてるんだ。恋愛くらい勝手にやれよ! だれも見咎めないっての。そんな時代じゃねーから。

90年代には岡崎京子が恋愛漫画を塗り替えた。一気に恋愛と性行為を現実として突きつけた。対象年齢を大幅に下げた。
10代の少女たちに、おそらく当時はそう多くはなかったのだろうけども、それなりにはあったしある意味誰にでもありうる現実。岡崎京子が描く恋愛は、そういうものでした。
みんな結構最後までやっちゃってるよ。あの子なんて妊娠・中絶もしたらしいよ。処女なんて大事にしててどうするの? いいじゃない。お金もらえるんだよ? 純潔なんかが女の価値だと思ってるの?
恋愛が憧れる美しいだけのものではなくなった。と、少なくともわたしは思った。言葉としては思わなかったけど、ものすごくショックを受けた。

岡崎京子だけが単にすごかったのか、鬱憤が不景気に弾けたのか、それはわからないけど。
でも、本当は心のどこかで望んでいたし実はすぐそこにありえなくもなかったものが、解禁された感があった。
解禁は言いすぎかな。禁は禁なんだけど、禁を犯してもいいんじゃないか・・・みたいな。
純潔をハタチより前に捨てたって構わないんだ。寧ろ、老いて価値のなくなるものなんか、一番高値のつくときに市場に出せばいいんだ。
そんな考えに同調して動き出す少女がたくさん現れた。そういう時代でした。90年代。

関係あるかどうかわからないけど、この頃、ダウンタウンもすごかったじゃないですか。
彼らの笑いがどうっていうより、あの、本音トーク。いやいやいや、ほんまはそう思てないやろ?っていうの。言っちゃいかんてほんまのことやねんから言うたらええやん、ていう空気を、わたしはものすごく感じたんですけども。
更に、心理学が発達して一般にも知られるようになって、遺伝子なんて人間の設計図まで読まれてしまうようになって。
何かそういう、今まで不可触であった真実が明らかになって、取り繕っても既に仕方ない時代だったんじゃないかって気がする。


男側からと女側から両方でそれぞれ感覚の変化はあったんだけど、いちいち分けて語るとくどいし面倒くさいので今回はこんな感じ。
本当は、ホモ(に限らずだが)漫画を自由化した高河ゆんのこととかも書きたかったんだけど・・・!


まあ、わたしは今振り返ってみて、そんな感じがするっていうだけの話です。全体的にものすごい雑な考察なので、各文に心の中で「多分」をつけて読んでください。
でも、完全に私見なので、他の人がどう思ってるのかはすごい気になる・・・。

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