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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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母の愛

更に言うと。

母の無償の愛だとか言われるけれど、おそらく私の中には、母親とは自己愛の塊というか権化であるという見方が根づいている。そしてそれを間違っているとは全く思わない。母の愛とは即ち自己愛である。
目の中に入れても痛くないのではなく、目の中に入れてでも離したくない。その肉体から、所有し、従属させたい。その為にただ、与え続ける。血の繋がりを、生活を。それは、自らの穴を埋める為である。いつでも我が子をそれが生まれ出でた穴に何としてでも押し込め収めていたい。その執念こそが、母の愛である。
本当の無償の愛というものも、おそらくこの世には在るのだろうけども、それは我が子を子宮と繋げる母のそれとは別物だ。無償ならば、縛りつけたりする訳がない。仮に、旅立ちに際してはその意思を尊重し祝福とともに見送り、いつ何時どんな帰郷をも歓迎し労うことができるならば、それは無償の愛かもしれない。与え続けるから無償なのではない。見返りを求めないから無償なのだ。配偶者以上にその穴にぴたりと嵌る栓として、母親は我が子を愛するのではないのか。
しかしそれは私には非常に胸の悪い宗旨ではあるけれど、他の誰かにとっては不可欠な初等道徳であったりする。穴と栓の需要が釣り合うことは、血縁関係の下にはままあるらしい。その閉塞に心地良く甘んじる人間は、もしかするとそう少なくはない。現在ではそれが共依存と呼ばれ問題性も指摘されるが、なお断ち切らない例が多いのだから、きっとそういうことなのだろう。

そういえば私は閉所恐怖症である。「出られない」という状況を想像すると気が狂いそうになる。
母とは、女とは、穴の開いた生き物であると思う。その穴を埋めようとする執念に、吐き気を催すことがある。

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