忍者ブログ

不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

毒の沼

毒の沼がある。普通ならその一滴だけでも溺れてしまうくらいの毒の沼。そこでそれに塗れて生まれた人間は、じゃあどうすればいいのか。
そういう答えって、本当に誰も教えてくれない。世の中は本当に、そういう人の為にはできていないんだ。


「銭ゲバ」 (ジョージ秋山/幻冬舎)

の話。

銭ゲバの最終章。風太郎は出版社からの依頼で、成功者として「幸せについて」の原稿を書くことになる。原稿用紙に向かう風太郎。
「銭があれば幸せズラ」と吐き捨てる風太郎。しかし、そこに浮かぶのは、ごく普通でありふれた家族像。ごく普通のサラリーマンとして日々勤め、ボーナスに一喜一憂し、妻に伺いを立ててマイカーを購入する。夫婦と息子一人の、そう豊かでもないが貧しくもない、ごくごく平均的な生活。ささやかな幸せ。
なのに、自分の手には決して届かない。こんなにも鮮明に思い描くことができるのに。多くの人間は、さしたる問題もなくたどり着けるというのに。どうして、自分には無理なのか?

このシーンは、何度読んでも泣ける。何度読んでも辛い。
一体何が悪いのか。いや、悪いことならたくさんしてきた。しかし、一体どこでその道は分かれたのか。いまさら悔いても遅いこともわかってる。でも本当にじゃあ、今まで来た道のどこで、どうすれば良かったのか? どうして自分に限って、人並みの幸せが得られないのか? 何度問うても、どこまで遡っても、答えは見つからない。
そのことが本当に辛い。

きっと彼は、非常に不運なことに、毒の沼で生まれてしまった人間なんです。
普通の人間なら、その一滴で溺れ、或いは死にも至りうる、そんな毒の沼。だから誰も、彼に手を差し伸べることすら憚る。下手に関わった者は、次から次へと不幸に見舞われ消えてゆく。
その沼の中で生まれてしまったら、もうどうしようもないんです。人並みの生活なんて、蜃気楼なんです。そこに見えていても、触れることすらできない。触れた途端に消えてしまう。崩れてしまう。
毒をもってしか制することのできない毒というのは、きっとこの世の中にあるんです。
銭ゲバというのは、その中で生まれた人間の話。毒に負けないほどの毒をもってこそ、生き抜くことができた。だから生きることは奪うことであり、殺すことであった。毒を制すためにもっともっと強い毒を求めてしか生きていけなかった。

そういう人の為になんか、世の中はできていない。ということに、おそらく多くの人間は、気づいてすらいない。
そういうことを思い知らされる漫画の白眉が、この「銭ゲバ」だと思う。
でも確かに、そうあるべきなんだ。世の中は、毒に塗れた人間のためになんか在るべきじゃないんだ。それはそう思う。そんな毒なんか、沼なんか、知らずに触れずに生きていけるのが何よりいいことだから。本当にそう思う。
でも、じゃあ、それでもそんな中で不運にも毒の沼に生まれてしまった子供は、どうすればいいのか?
消えてしまえ、死んでしまえと言えるなら、言えばいい。わたしは言えないけど。だから、そんな人たちを悪だとは言えないけど。でも、言える人は言えばいい。そして消すなり殺すなりできるならしてみればいい。
わたしには、できないけど。

PR

忍者ブログ [PR]