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大抵の物事には、法則と例外があって。
それを描くんだと思ってました。
例えば、
銀さんは、人が死んでも泣かないひと。(法則)
でも、きっと、人が死んで泣くこともある。(例外)
泣かない、泣かない、泣かない、絶対に泣かない。あくまで泣かない。そういう話。
か、もしくは、
泣かない、泣かない、泣かないはず、絶対に泣かないはず、でも、泣いてしまう。そういう話。
わたしは漫画のことしか分からないんですけど、文化って、一人の天才が現われたら、新しいものが生まれたら、その後、衰退してしまうっていうのが、あると思うんですね。
大友克洋然り、鳥山明然り、高河ゆん然り、武内直子然り、安野モヨコ然り。(偏っててすみません)
何というか、そういう人って、その時代の法則と例外を捉えて、描いて見せてくれてるんだと、わたしは勝手に思ってるんですけど。
そこで、見せられた他の描き手は、つい、その例外ばっかりに目がいってしまう。
法則があって、その上での例外だからこそ見る者に迫ってくるのに、どうしてもそのインパクトだけを評価してしまう。そこにだけ飛びついてしまう。
その結果、何の芯もない、消費されるだけで何も残らないものが溢れかえる。
独楽は軸がないと回らないのに。凧だって糸がないと空高く上がっていかないのに。
法則とか例外とか、何においてのものでもいいんです。個人的には。
だからこそ、何を選べばいいのか、そこに今迷ってる気がします。
こういう話、他の描き手さんで分かってくれる人がいたらいいなあとか、思うんだけど、メールにせよ何にせよ個人にぶつけると迷惑な気がするので、そのために多分わたしはブログをやってるんだろうな。
あとは、物心ついたときからずっとしてきた日本語の練習の成果を披露するために。
俄かに自分の中でまとまったので、綴ってみました。
わたしも、人が死んだということでは泣かない人なんです。
それはちょっと違うか。
身内だとか、近しい人が死んだというだけでは泣けない人なんです。その死に様とか、生き様とか、それを思い返してやっと泣くんです。その人と自分との関係性は問題でなく。
それはもしかして、誰に対してでも同じように感情移入する練習をしてきたからかな? 遠い人こそその心持ちを考察すべき対象だと、そう思ってきたからかな?
他のみんなが充分悲しんでるから、自分まで泣く必要はないって思うせいかと思ってたけど。
本当に、人って死ぬんですよね。
人だけじゃないけど。
というわけで、しばらく実家に帰ります。
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