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ジョジョばっかり言ってますが、実はその前にネウロも読んだんですね。
その後のジョジョのボリュームがすごかったので、ネウロについて反芻するのに割く容量が無かっただけで。
ネウロを、最初から読んではいたんだけど、あまり熱心にではなくて、で、Xiが出てきたあたりから、心がぞわぞわっとしてきて、何か気になる・・・みたいな。
何が気になるんだろうと、何かが気になりながら読んでたんですが、最初からコミックスで読んで、わかった。
「共感」だわ。
わたし、あの漫画を、共感を楽しんで読んでる。
というか、今まで誰とも共有できなかった感覚を、あの漫画で他人のものとして感じられることに、ぞくっとしてる。
Xiの言ってること、わかる(と、勝手に思ってる)。
「他人を通して、自分との違いを知って、自分を理解する」っていうの。
でも、その他人が、単に自分と違うだけの他人では意味はないんです。
違うところと同じところ、両方あるからこそ、自分を知ることが出来るんです。
この辺は、勝手にシックスの台詞まで含めて補完してますけど。
「特徴」というのは、他と違う性質なんだけど、すべてが違っていたら、逆にどれが特徴かわからないでしょう。
「すべて」なんてのは、わかってないのと同じでしょう。
どこが一体どうなのか。どこがどう違うのか。どれだけ違うのか。
それがわかってこそ、特徴を理解したと言えるんですよね。
自分自身がわからないのが不安、というのもわかる。
自分と他が違うのはわかるけれど、どこがどう違うのかわからない。という不安、あります。
何だか、自分が消えそうに感じることがあるんですね。
自分というものの根拠がわからないと、種としての生存が危ぶまれるような気さえするんです。
「淘汰される」っていう不安がつきまとうんです。
根拠がわかった上で、パズルのピースのように上手く嵌まらない自分を認識したときも、同じ不安を感じます。
だから、シックスが新しい血族とか言い出して、その生存の為に人間を滅ぼすのどうのと言い出したのも、何となく、わかる。少し共感する。
昔どこだかの大学入試の国語の問題で、「キメラ」の話を読んだときと同じ感覚です。この、ネウロに対するわたしの共感は。
「キメラ」って、つまりは掛け合わせのことなんですけど。種としての掛け合わせ。
よりよい種を作るために掛け合わせるんですが、それが上手く嵌まらなかったとき、弱い方が淘汰されるんです。その、ひとつの生命体の中で。ひとつになったはずの生命体の中で。
例えば、臓器移植でも、同じことなんですけど。
移植された臓器が、体に合わなかった場合、拒絶反応が起きる。あれです。異物は排除される。
たとえその異物が、自分自身の生存に必要であったとしても、それでも、淘汰してしまうんです。
そうだ。あれ読んだときも、ぞわっとしたんだ。
このことを今日ダンナにちょっと話してみたところ、どうやら、言葉の意味はわかるけれど感覚としてはわからないようなのですが、ネウロを読んでいる他の人たちはどうなんだろう?
と、思った。
みんな、そんなこと感じずに読んでるのかな?
じゃあどうやってあの漫画を楽しんでるんだろう?
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