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理想像ではなくて、個人的に父親というものに対して抱くイメージの話。血のつながった大人とそうでない大人というべきかな?
例えばトールズさんとアシェラッドとか、悟空とピッコロというのがすごくそれに当てはまるんですけど。血のつながった父親と、そうでない父親的存在。ちなみに後者が好き。
多分なんだけど、親って、どんなに立派な人物でも教育者としてはあまり役に立たないんじゃないだろうか。私の中に、他人の教えは糧になるという概念がある。父親って子供の前にあるものなんだろうけど、子供を振り返っちゃうと、その距離が近すぎて客観視ができないと思う。客観的にならずに他人に正しく何かを教えるのは無理だと思う。なぜなら、大抵の正解は解釈の一つ一つでしかないからです。にもかかわらず、その距離が近すぎるとその正解が絶対のものになってしまいがちです。だから、親の教えって視野が狭くて長期的には役に立たない。子供に対する思い込みも強いし。
そこでいてですね、血のつながらない父親ですよ。これはすっごく糧になる。無責任に立ちはだかる一つの正解。いや、正解か? と、疑ってみたり反発したり破ったり、何なら避けることもできる。という選択肢を知ることは当然できるし、それでも無視できずぶつかる、もしくは目指すなら、それこそが自分の道だという証左なわけで、子供自身が自分を客観的に見ることができる。そういうとこに成長があって、糧になる知識があると思うんですよねー。
これは兄でも教師でもなく、やはり父親像。前に立ちはだかる、何か。いつかは倒れ、超えてゆく何か。そういうのが父親という存在じゃないかなと思いますファザコンです。
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