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「ヘルタースケルター」 (岡崎京子/祥伝社)
改めて読んで、時代を超えてやはり、岡崎京子は神だと思う。信者ではないんですけどね。わたしは岡崎京子信者ではない。
連載当時は、時代を鋭く切り取ったんだと思ってた。あの特殊な九十年代の爛れた熱気を描いたんだと思ってた。
でも、違うね。そんな刹那的なものじゃない。単にその時代だったからその時代を例にとっただけで、描かれているのは、きっと何年経っても何世紀経っても、人間が(女が?女の子が?)この世に存在する限り、いつだって繰り返されることで証明される真理なんだと思う。
女の人生に、上がるなんてことはないんだということ。そのピークがあまりに早いこと。昇っているつもりの時こそ、下ってしまっていること。もがけばもがくほど、沈んでいくということ。跳び上がろうとした時には、足場を踏み外してしまっていること。望めば望むほど、求めれば求めるほど、手を伸ばせば伸ばすほど、それには届かないこと。他人を掻き分け誰かを蹴落とすのは、何より自分を落とすこと。何をしても堕ちていくということ。それが、女の人生だということ。どうしても堕ちたくないのなら、その為には、ただ、前を向いて歩いていくしかないこと。でも、堕ちるのって、そこまで悪いことなのかな? ただ、そうなるってだけでしょう?
と、御伽噺からずっと語られてきた真理を、あまりに簡潔に冷徹に、何の偏りもなく、誰にでもわかるように見せてくれるのだ。
そういう真理を語ってくれる漫画家は、別に岡崎京子以外にもいるとは思う。女を突き放して、気づきたくないような痛い真実を描く作家は。でも、岡崎京子は違うんだ。他の作家とは別格なんだ。なんというか、視線が、「神」だと思う。
例えば安野モヨコなんかも、痛々しいけど仕方ないこと、本当のこと、恋愛はきれいなばっかりじゃないこと、そういうことを、かなりリアルに描いてくれると思う。でも、彼女の作品の最後には、「まあ、あたしもそうなんだけどさ」って、そうつけ添えられている気がする。みんな目を逸らしたいけど本当のことだから仕方ないよ、あたしも含めてさ、って、あくまで人間の目の高さで描かれているリアルじゃないだろうか。
その外にも、いわゆる女に冷たいといえば内☆田春☆菊なんかもそうだろうけど、彼女は彼女で、完全にそんな女を嫌悪(憎悪?)している立ち位置が見える。それもやはり、人間視点。自分(作者)と作中の人物に、関係性があるの。
岡崎京子は、そんな視点を超えている。超越している。
作中の少女たちは、それぞれに望んだり求めたり楽しんだり舞い上がったり堕ちていったりするのだけど、決して、警鐘だとか侮蔑だとか擁護だとか同情だとか、そういった感情が描写に含まれていない。と、思う。ただ、そうなるよねって。本当に、ただの真理として、描かれている。それは数学の公式のように。物理の法則のように。1+1は2だし、重いものは落ちる。そんな当然のことに対して、何の意見を言ってどうなると?
岡崎京子は、少女たちを、それと同じ感覚で見ているような気がする。ひとりの人間が同じ人間を見る視点じゃない。
ほんとに、この人は神じゃないかと思う。既に伝説になっているし。
何だろうこの人? 何でこの世界に降りてきて、わたしたちに真理なんか教えてくれたんだろう? きっと、そんなことしなくても生きていける人なのに。何のために? 何の得があって? 気まぐれ?
漫画なんて描かなくていい人なんだと思うんだ。漫画家って、仕事だからとかお金のためだとかって理由もあると思うけど、結局、描かないといられない人なんだと思うのね。漫画を描かないといられない人。
岡崎京子って、他にいくらでも楽しいこともあって、他の何かで生きていけて、漫画を描いたり読んだりしないといけない人ではないと思うの。漫画なんか彼氏のうちでしか読まないくらいの。例えそれをかわいいといってもディズニーやキャラグッズと同列で、何も特別じゃないような人種じゃないのかな?
そんな人が、何で漫画なんか描いてくれたんだろう? しかも、本人の人生には関係ないような、しかし多くの女の子たちの心に鋭く深く突き刺さるような真理を。
ほんとに、この人って神様なんだと思うんだ。
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