[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
≪ 非お姫様に非王子様 | | HOME | | 季節はずれ ≫ |
ちょっと前から思い始めてたこと。草稿的なまとめなので、いささか論が大雑把です。
主に恋愛漫画で、主人公たちのやり取りや語りに対し、「あーはいはい」くらいにしか思えないことがままあるのですが、その気持ちは、ちゃんとした言葉で説明すると、「そこは恋愛において問題とはならない」ということなのかもしれない。
これを萌え(燃え?)ポイントとでも言えばいいのかな。ゾクッとくるシチュエーションには、わたしの場合、「線を越えるか」もしくは「膜を破るか」という要素が必要なのかも。
人と人の間には線がある。と、常々感じる。そして、誰かと関わるとき、で、あなたはその線を越えるつもりなのか、覚悟があるのか、と、そこが見所じゃないかと思うんです。多分、わたしが他人と接するに際し、そこが大問題になるからだろうけど、まあ、そこに関しては今日は語らない。
こちらに興味ないし好意を持って近づいてくる人間に対し、その線を越える覚悟があるのかと。そこで足止めを食らわせたり、試すように誘ったり、全力で拒んだり、相手の判断に委ねたり。そしてそうされた方も、何をされても突き進んだり、誘われたら逆に踏みとどまったり、拒まれて迷ったり悩んだり負けなかったり、自己責任だと感じた途端に怖くなったり。そういう折衝に、個人的にはものすごく興奮するんです。多分、これはきっと、わたしなりの恋愛における障害萌えだと思う。ほら、敵同士の家柄だとか、身分違いだとか、男同士だとか、そういうバリエーションの中で、個人的に一番萌え(燃え?)られるパターンなんです。
線なんて、所詮たかが線なので、越えようと思えば実は簡単に越えられるもので、お互いの覚悟ひとつなわけで。個人的には、現代日本において恋愛なんてそういうものじゃないかと思うんですよね。今時誰とつきあうのつきあわないのどこまでやるのって、そんなの、どう考えてもほかの誰のせいでもなく、自分たちの問題でしょ。そうとばかりも言ってられない人たちには申し訳ありませんが。
でもそんな時代でも、人間1人にしっかり向き合って受け入れていく、重なっていくということは、充分に労力のいることで、結局人と人との干渉においての問題ってそこじゃないかと思う。個人と個人の間の線と膜。それを超えるのか破るのか受け入れるのか破られるのか。それを自分の覚悟と責任において、どうするのかが見たい。
が、そこで焦らしてくれるような恋愛漫画が滅多にないわけです。それどころか、その線を感じさせてくれない場合も多い。あまつさえ第三者の何かを理由にしてみたり。だから入り込めないことが多い。という話。とりあえず今回は。
≪ 非お姫様に非王子様 | | HOME | | 季節はずれ ≫ |