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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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自己否定と女性肯定

これhttp://tegaki.pipa.jp/300836/16668406.html(現在進行形)描いてて、あたしって結構少女漫画だなと思った。
考えたら、積極的に少女漫画を嫌った記憶はないな。なんとなくそっちの道からずれていっただけで。どっちかってと、縁がなかったのかも。母親が漫画嫌いで父親が少女漫画嫌いで、且つ、なんでも色恋の話にもってく同級生の女どもに、こっちはそれどころじゃねえんだよ!!ってキレがちな思春期を送っていたからね。
それを言えば、結婚するまでジャンプにもほぼ縁がなかったし。
ダンナのジャンプ脳を認識するたび、本当に遠い世界だと思うもん。何でジョルノの髪型に全く違和感を抱かず読めるの? 遊戯王の主人公がいじめられっ子だって知ったとき、それは髪型のせいだろうと即思ったけど。あんな奇天烈な頭しといて、いじめられてますはないわ。

って、ジャンプの話はいいとしてだ。

こないだね、処女がどうこうって記事を書いたんですけど、処女がダメで非処女がいいという話ではないんですよね。
求めるくせに与えない、自分が傷つくことは絶対拒否、そういう根性が嫌ってだけでね。
だから寧ろわたしのそういう論を聞いて、「そりゃあんたが体でしか男を落とせないだけだろ?」とか、「お前こそ非処女くせえよ!」といわれたらそりゃもうExactly!としか言えないわけで。言ってはいけないとは思わないから言うだけで、自分だって逆に言われるとこあるってのは認識してるよ。でも、誰も言い返してこないんだよな。

何だかね、自分は早いうちに自分の女としての能力の限界と不足に気づいたんですよ。そして開き直った。女として自分ができることが非常に限られてるから、じゃあそこを生かすしかないよね。って。しかも男と勝負してやっていけるような気力も体力もないし。
そうやって人生に折り合いをつけてきたんですけど、その中で自分には無理だったけども、明らかに素敵な女子のありようってのは、思い描くくらいはできるようになるわけです。というか、自分否定の延長で。自分には女力が足りない。じゃあ、その足りないとこを補った姿ってのは、想像に難くないでしょう。
そういうの、自己投影のひとつの形でしょうね。自分の影。表面化していない自分。それを影というらしいですよ、心理学では。
そういうのを理想として描けるくらいには、今のわたしの心には余裕があるのです。有難いことに。自分の足りないものを補って余りある女の子像を、素直に素敵だと思えるのは結構幸せなことだ。
青年誌を意識して漫画を描いてたせいもあるのかもしれないけど。あの世界で読んでもらえるものを女が描こうと思えば、女を使うほうが手っ取り早いしね。

でもねえ、やっぱり男も女も、強く優しく美しくですよ。だってそんなの素敵じゃないですか? それを否定できるんですか?
男らしく女らしくって、そりゃあるけども。性差ってどうしてもあるけど、個体差だってあるわけで、それぞれのその姿や立ち位置に合った振る舞いが、強く優しく美しくあればいいのだと思う。

わたしのジェンダーって、そういうものです。
性差より個体差。現実の自分を受け入れて、性に従うなり抗うなりすればいいのでは? 誰だって、歩き出すのは今立っているその地点からなんだから。

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