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この世の、損も得も正義も悪も超越した、真理に近いがそれよりもっとクリアーで偏りのないもの。わたしはそういったものに憧れる傾向がある。全てにおいて、そういう価値観。
一方、“道”として。道とは、そこにあるたった一本の道筋。全てを一次元に集約して単純化すること。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」なんていうのと同じく、「恋愛とは好きというただその一ツ事なり」と。
その道をひたすら純粋に、余分を削りきって究めれば、恋愛というものの本質、肝要は、そこに集約されるのではないか。それが恋愛道。支流に惑わされず邪道に偏らず、ただ恋愛そのものを純粋に追究すれば、「好き」以外何も残らないのではないか? それ以外必要ないのではないか? 必要としたらそれは、恋愛そのものではないのではないか?
これが、“道”として恋愛を理論的に突き詰めた終着点。これに合致する恋愛漫画が、かわかみじゅんこ。
他方、“学”として。“学”とは、俯瞰で多元的に全体を見渡す社会の捉え方。あくまで一観察者視点に徹し、情報の収集と処理に個人の価値観は挟まない。
恋愛について、俯瞰で全体を見渡すことは、恋する当事者を突き放して観察すること。且つ、可能な限り多くのサンプルを収集し、分析・分類・序列づけをすること。それらの結果から、恋愛を通した何らかの価値基準で社会を捉える。それが、恋愛学。
どんな時どんな人間がどんな恋愛パターンに陥るのかについて、サンプルから仮説を立て、その真偽を検証する。そしてより確からしい結論を見つけ、体系化する。ただそれだけのこと。あなたのようなタイプは、こんな条件下でこんな恋をするでしょう? そうしたら、結果、こうなるのよ。
これを見事なまでにやってのけてくれた恋愛漫画が、安野モヨコ。
何に対しても、以上のどちらかの突き詰め方なんだな、わたしは。それを文章にしたためてみて、うん、わかった。おかしいわ。恋愛学はまだしも、“道”はないわ。何で究道やねん。相手ありきの恋愛を1人で究めて自分自身を完成に近づけようとしてんねん。
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