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AZUMIであずみの弟が異常に竜馬に心酔して褒めちぎってるのがいい加減鬱陶しくて、こいつ、信じて最後に裏切られればいいのに・・・!と思って見てたけど、考えたら、竜馬が悪っていう作品てないよね! 歴史ものはあんまり読まないけど、多分ないよね。竜馬を悪く言うと、かなり多くの日本人を敵に回しそうだ。でも、だからこそそういうのいいと思うんだけどね! 実は悪な坂本竜馬! そういえば前に銀魂坂本ラスボス説をネットで見つけて、一人盛り上がってたんだよなー。
竜馬と並んで人気の歴史上人物双璧ともいうべき信長は悪役でもいいのにね。竜馬はダメって何でだよ。
そんなわたしが久し振り(4年ぶり?)にお送りする、
この漫画が「凄い」!!
こちらと併せてご覧いただけるといいかもと思ったり思わなかったり。
こういうの、大抵私が注目してるときはランクインしないんだ。最近面白くないなーと思った途端入るのは何でですかね! 辻仁成が芥川賞取ったのもまさにそういうタイミングだったわ。
まあいいや。始めまーす。
恋愛漫画について思うところを書いたりしたら、そもそも自分は人との繫がりについての感覚が根本のとこで欠損してるんじゃないかと考え始めたりして、ああ、こんな話みんなどうでもいいよなあという結論に行き着いたのでした。
自分は人とは(普通とは)違うアピールみたいだし。アピールというか、語りになるし。
というわけで、今日はそれとは違うどうでもいいことをちょっと取り上げてみます。
最近ピクシブで知って絵がでら上手いなーと思ってた人が、どうやらBL作家さんらしくて、例によってその人のブログを遡って読み漁ってたら、バトン回答で、「影響を受けた作家」のとこに「平田弘史」を一番に挙げてらして、鼻血噴くかと思った・・・。だってそんな名前を女性から・・・。まさかそんなことがあるとは思わなかったのだよ。
その方の絵だけを見てて飽きないくらいなのですが、漫画は読まないだろうな。絵から入った女性作家さんの恋愛もの(特にBL)は、大抵読んだらガッカリする。元々恋愛ものが合わない人間なのかなとも思うけど、自分が描くのは結局恋愛かそれに準じた人間関係の話なんだよね。社会的なのとか描けないし。単に世間一般と恋愛観の食い違いが大きいということなんだろうか。
そういえば前に、妹が「花より男子」のドラマを見てるらしくて、「道明寺(?)はつくしじゃないとあかんねん。でも、つくしは他の子でもええねん。誰とでも付き合える子やねん。小栗旬(がやってる役)が好きやねん」て語ってくれたんだけど、どうしてその人間関係にテンションを上げられるのかがわからなかったわ。そんな・・・自分が好いた相手がこっちを好いてくれないなんて、至極普通のことじゃないの? 1対1で100%で愛し合えるなんて、それっていいことなのかな・・・。
現実には不可能だったりリスクが大きかったりするから、漫画やドラマで夢を見たいのだろうか。もしそういう1対1で100%の恋愛という夢が普通なら、確かにわたしの価値観とはかなり異なってるようだわ。
個人的には、そういうのって怖い。完結が怖い。
でも、自分自身現状を見てみれば、恋愛でではないけど、かなり狭く完結してる人間なので、多分、そういう自己に対する否定が半分あるんだろうな。あと半分は、「二人きり」の完結がどうしても受け入れられない。せめて自分一人でなら、仕方ないなと受け入れられるんだけど。
あれ、何か早々に答えが出たな。
いいことを教えてやる。
「お母さんはガーデニングをしてしまうからね!」という台詞に対しての、そんなただ自分の趣味でやることをわざわざ恩着せがましく押し付けがましく言われてもさあ・・・!という気持ちを、一言で表すとだな。
「知らんがな!」
となるのだ。
これは非常に便利な言葉だ。「そんなことなんでわざわざ私に言うの?」とか、「別に聞いてねーよ」とか、「その話いつまで続くんだよ」とか、そういうの全部、さあ、みんなで
「知らんがな!」
言ってやろう。一蹴してやろう。
これは非常に便利な言葉ですよ。ダンナが頻用してたら会社の先輩が真似し始め、転勤先でも使いまくってたらしく、そっちでダンナが言ったとき、「それ、○○さん(先輩)の真似?」と聞かれてしまったらしい。それくらいその先輩はネイティブでもないくせに多用してらしたようだ。だって、便利だもの。ものすごく便利なつっこみフレーズ。
その方言でしか表せないことというのはある。標準語訳は同じはずなのに、全く違うニュアンスになることがある。
ある人が言っていた。同意するには、東北弁に限ると。東北人に「んだんだ」と頷かれたら、何だか温かい気持ちになれると。ああ、この人はちゃんとこっちの話しを聞いて気持ちを汲んでくれたんだなと思えると。
逆に、関西人の同意だけは信用できんと。「せやせや!」って、だってそれもう同意や賛同というより、まるでただのにぎやかしじゃないか。合の手というか。
そして京都人の「知りまへんえ」以上に、相手を冷たく突き放す言葉はないと思う。凍った漬物で肩を切りつけられたような痛みが走るわ。←今この喩えは的確すぎると思って使ったものの、実際文字にしてみると全く意味がわからんな・・・。まあ、いいけど。
断定するなら、土佐弁だろう。「日本の夜明けぜよ」って、きっとそうなんだろうよ。ああ、そうなんだろうよ。
「九州男児で」の後にはやはり、「ごわす」しかありえないし。
比較すると、関東の方言て、感情表現について無頓着ですね。初めて関東でうどんを食べたときその出汁の濃さに、「こいつらが『傍ら痛し』を『片腹痛し』に勝手に変えた民族か!」と思ったね。
各地を転々としてると、そういうのつい気になる。
そうやって色々分類してたら、さっきワンピース見てロビンの声優さんが関西出身だと見破ったわたしを褒めて! 銀さんの声優さんは北関東出身だと思ったらやっぱり埼玉だった(埼玉は北関東です)。松平のとっつぁんはやっぱり西の方でいくつか混じってた。
感情を込めるときや間延びしてしゃべるときに、方言て出ると思う。
そのうちディアスポリスの久保塚早紀ぐらいそういうの見破れるようにならないだろうか。(目標)
この間、漫画のテーマについて考えてて、その後手塚治虫の漫画を読んで、そういえば最近の漫画って最後に主人公(級の人間)死なないなーと思った。それってテーマの質が変わったからかなーと。
漫画って、基本エンターテインメントだと言われればそうだとは思うけど、やっぱりテーマってあると思う。というか、テーマなしにひとつの話を描くって、できるものなの?
「人間とは/男とは/愛とはかくあるべき」という大仰で教訓的なものでなくても、「こういうことってあるよね?」っていう共感を求めるものや、「こういう考え方もあるんじゃないか」と一例を提示するもの、「こういうのが好き(萌える)んだよ!!」と自分の趣味・嗜好をごり押しするものまで、そういう、話を描く上での核になるもの、描く動機、それが、テーマだと思うんですね。そういうの全くなしに(誰かから与えられたり頼まれたりもせずに)ひとつの話を描くって、ほぼ不可能じゃないかと思うんだけど、どうなんだろう。
テーマって、話の核だと思う。その引力で、話全体がまとまるかどうか、見ごたえのあるものにまで成長できるかが決まってくると思う。あまりに引力ばっかり強すぎて、膨らむばっかりで纏まらないというのもあるだろうけど。まあそれは別問題として、ここではちょっとおいとこう。
それでね。昔の漫画って、「人生とは」みたいなテーマが根底にあったんじゃないかと思うんですね。昔って、かなり昔の話ですけど。まだマガジンが最強だった頃の話。かな。
「男の生き様とは」だったり「愛に生きる女の人生とは」であったりも含めて。人生・生き様について、「こうあるべき」というひとつの美学や道徳や信念みたいなものを、全体としては語ってあったような気がする。男はこうあるべきなんだよ!と、その強い生き様を描いたら、やはり最後はその死なくしては話に結論なり決着なりがつかないんじゃないだろうか。だって、人生を語ってるんだもんなあ。その結論て、やっぱりその最後に出すのが妥当でしょう。
ここまで読んで、なんか漠然とててわかりにくいなあと思った人は、あしたのジョーやタイガーマスクの最終回を検索でもしてみてくださると例としてわかりやすいかもと思います。いや、どうだろ。多分。そこから北斗の拳やジョジョ1部・2部までを一連の変化の流れとして見たら、何となくわかるんじゃないかな。どうかな。
主人公の死でその生き様というテーマに決着がついて話が終わっていた時代から、必ずしも主人公は死ななくていいようになるんですね。死ななくても消えてもよかったり(主人公が強すぎて死に方が想像出来ない場合とか)、もしくは1人目は死んだけどその次は死ななくてすんだり(一人目の死を生かす形)。その代わりに敵はきっちり葬り去ったり。
変わったからどうだとか、どっちがいいとか悪いとか言うわけじゃないです。
でも、なんか変わったなあと。そして今では、人生なんてテーマに置かなくていいんだなあと。死が遠くなったからかな?
でも、わたしがジョジョ2部と6部のラストが特に好きなのは、きっちりテーマや主人公たちの生き様に決着がついてるからだなと思いました。ジョセフが大好きというのもあるけども。大好きだけども。主人公が死ぬか死なないかが問題なわけじゃないけど、というか、死んだから決着ついたでしょ!みたいな終わらせ方は大嫌いだけど、でも、主人公の生き様に決着がつくって、ものすごく気持ちよくないですか?
ここ一週間くらい、体調が非常に思わしくないです。なんとかしてくれ。
というわけで、ブクマ整理更新。
愛のままにわがままに・・・ http://chaos2ch.com/archives/1651014.html
個人的大ヒット!
兄さんの娘を虐めたやつらにスマートに復讐 http://chaos2ch.com/archives/1654606.html
カオスちゃんねるか・・・覚えておくぜ。
怖い話を読みたいけど有名コピペは飽きました http://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-1938.html
またいつか読み返すであろう。
これどんな状況だよwwwってエロ画像ください http://vippers.jp/archives/1816549.html
こういうスレを片っ端から見てるせいで、大抵見たことある画像に・・・。
「読者各自が思い描く、ラストのその後」をぶち壊してしまう http://ikuzi2.blog73.fc2.com/blog-entry-9334.html
「月の夜 星の朝」はひどいだろ・・・その後・・・。
森先生(ホーリーランドや自殺島の)に、 「枠線も引けないのか!」と怒られたらしい漫画がこちら。
ちょっと仙台行ってきます。
別れた男の悪口を言う女は人間の屑だ。別れた旦那の悪口をあまつさえ子供に漏らす女は更に屑だ。
と、ずっと思ってきたんだけど、もしかして世間一般ではそうでもないのか?
まあ、他の人がどうだろうと、わたしがそう思ってることに変わりはないんですけど。
じゃあ男は?って訊かれても、わたしはそれは知らないから。別れた女の悪口を言う男が屑かそうでないかについては、実感を持って結論を出せたことがないから。わたしの知ったこっちゃないです。自分に関係ないし。
やっと風邪が治ってきた。でもまだ薬が効いてるだけな感じもあるし、今日一日は安静にしときますけど。
黒風邪(火曜深夜に起きて黒執事を見るせいでひく風邪)が治らず、日々悪化しています。じわじわと。さっさと熱出てすっきり治ればいいのに。
いい加減治そうと、今日はずっと寝てたのですが、そんな中、夢を見た。ジャンプでガチムチホモ漫画が始まった。巻頭カラーで。柔道部の男の子(高1)同士の、友情と性欲を分かたない関係を描いていた。初っ端からぶっ飛ばしてて、わたしはまさにそういうのが読みたかったので、読んでものすごく興奮した。まあ、夢なんですけど。
考えたらありえねえよ。考えなくてもありえねえよ。でも、まあ、夢だから。
考えたら、わたしはBLというカテゴリを、「女のメンタルで男同士の恋愛や性を描いたもの」と位置づけているんじゃないだろうか。
結局人間なんて、価値の違いで分類するんだよ。わたしにとっては、そこが価値の境界なんだね。しかし、世間におけるBLという分類は、そういうものではないらしい。
でも、「男同士の恋愛そのもの」だと、ガチムチとかはどうなるんですか・・・。それも入れていいの? あれは性欲が先に立つからだめなの? 難しいなあ・・・。
そうそう。それで、「女のメンタルで男を」という特徴から、「男もすなる~」になるのね。わたしの中では。そういう風に捉えてたのね。それがわたしにとってのBLらしさ。
視点と価値観の違いで、わたしはジャンルを分類してるんじゃないだろうか。で、それぞれのそういう前提を踏まえた上で読む。それがそのジャンルらしさ。そのジャンルの楽しみ方。
しかし世間一般や他の人たちがそうではないなら、一体みんなはどんな基準でジャンルの分類をしてるの?
BLというジャンルをわたしが理解できない根本には、「それ、女でも描けるじゃん?」ていうのがある気がする。
男×男でなくても、男と女、女同士でも、全然描けるよなーと思ってしまう。多分、男同士っていうのはわたしにとっては単にひとつのバリエーションなんだね。二次なら、元のキャラがあるから、そのままで男同士になるから男同士で描くんだけど、オリジナルだと、さあ、どういう組み合わせでいこうかと。その程度のもの。
それにわたしは、女が男に衒されるというのは、ひとつの様式美だと思うしね。いいじゃないの。相撲取りが打撃技もあるのに最初は一応組むのと一緒だよ。そういうの、抗えるけどあえて従うっていうの、それはそれで美しいじゃないの。わたしはそういうとこにセクシーってあると思う。
読む分には、結局面白けりゃ何でもいいんだけど。というわけで、やっぱり分類は関係なくなっちゃうね。