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人間の行動の理由や意味を考えるのは、もしかしたらひとつの病気なのかもしれない。
ストレンヂアを見ました。わたしはどうやら、彼の声もかなり好きであるらしいことがわかった。途端、恥ずかしくなった。
最近、何となく書くことがないです。
意義を求めるのは、納得したいからだ。理解することで納得する。それ以外に、納得する方法を知らないのだ。
物事のオチというのは、理解ではないのか。理解をされるかするかどちらかではないか。そのことによって、物事は完結あるいは完成するのではないか。
手塚治虫の漫画では、火の鳥が一番好きです。視点をぐるぐる振り回されるのが。時代や舞台が次々飛んでいくのもそうだけど、それぞれの行動にそれぞれの理由があって、人は一人残らず人なのだ。深い浅い強い弱い、思惑や理念や意思や動機にはそれぞれ違いはあるけれど、それでも、それぞれにあるのだ。それは当然のことなのだ。
ということを、再確認できる。
なんて思う人間のほうが少数派なんだろうか。自分と自分の仲間内・身内についてだけ、正当な意義があるんだと決め込んでおけばいいんだろうか。その他には、正当性を認めなければ物事はもっと単純で手に負える範囲の問題たりえるのだろうか。
といっても、今更個々の意義を求める思考体系を変えることもできそうになく、とりあえずは、同様の体系で思考する他人の存在を感じて、少し救われた気になるしかないみたいです。
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