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「ネオンテトラ」 (かわかみじゅんこ/飛鳥新社)
「恋と思いこみって、どうちがうの?」
すみません。この↑台詞は「ワレワレハ」のものです。でも、そっちは画像なかったので、今回アマゾンリンクは「ネオンテトラ」で。
恋と思いこみって、どう違うの? ねえ、どう違うの?
わたしもそう思ってたよ!! でも、言っていいものかどうかと迷ってた。でも、そうだと思うんだよ!! 心底!!
でも、この漫画に後押しされて確信した。そして断言することにした。
恋とは之即ち思いこみ。
でも、これは恋愛否定ではなくて。
それでもしたいならすればいいじゃない。思いこみなんて、高度な娯楽のひとつじゃない。そりゃあ、没頭したら楽しいでしょうよ。そんな恋愛なら、いいじゃない。熱くて燃え上がって素敵じゃない。
人と繋がっている。愛し合っている。理解しあっている。お互い運命の相手である。そういうの、思いこみだと思う。そして、思いこみとして楽しめるなら、それは快感だと思う。恋愛って、そうやって楽しむものだと思う。
なのに、世間にはそういう角度で食い込んでくれる恋愛漫画があまりない。かわかみじゅんこは、その中でも最高の鋭角で食い込んでくれる作家さんです。その角度の痛々しさが、当時のわたしには並々ならぬ快感でした。
先日、ふと気づいたのは、わたしが恋愛漫画をあまり好きになれない(好きになれる確率が低い)のは、恋愛に夢を見ないタイプだからという理由が結構大きいんじゃないかということです。わたしが恋愛漫画に求めるものは、決してかなわない絵空事ではないのです。地に足の着いてないふわふわした恋愛関係の夢には興味ないんですね。そういうの聞いても、「へ~、そうなんだ~」って、他人の夢に対して以上の感想はもてない。ああ、あんたはそういう恋愛がしたいのね、と。ほんとそれだけ。
現実に経験する以上の恋愛を求めていないのですね。そして、求めるものが少ないからこそ、自分的には一通り経験しきって回答がすっきり出た。で、何でみんなはそうやって割り切れないんだよ!!と、他人の恋愛妄想(理想?)の重さに辟易してしまうんですね。あくまで自分にとって恋愛ってのは自分自身で経験するものなので、自分の現状とあまりにもかけ離れた夢を見てる人を、ニートを見るような目で見てしまったり。「じゃあ、やれば?」みたいな。多分、夢見てる本人からしたら、そういう問題ではないのだろうけれども・・・。
でも、恋愛なんて現代社会で自由に行えることについて現実味のない理想を語られても、何も面白くないというか。で、その話をこっちはどう聞けばいいの?と。もっと言えば、「知らんがな!」と。自分が夢を見ないものについて、完全な夢見心地で語られても、全然入っていけないんです。ついていけないんです。
そんなわたしをも酔わせてくれる程の恋愛の物語がある意味理想なわけですが、そういうのも勿論好きなんですが、かわかみじゅんこの一刀両断ぷりはそれと双璧をなしてわたしを満足させてくれる。
思いこみかもしれない。おそらくそうなんだろう。一瞬の燃え上がりかも知れない。きっとそうなんだろう。
でも、それに酔うのって、気持ちいいじゃないの。
その開き直りが大好きだ。そうやって開き直ってなお且つ騙されてやろうじゃないのって、思えるくらいじゃないなら、しなくてもいいじゃない。恋愛なんて。
自己弁護も自己正当化もいらない。正しいか間違ってるか、本物か偽者かなんて構わないでしょう。恋愛なんて、他所の誰に咎められるようなものじゃないんだから。2人が、もしくは自分が、その瞬間最高に盛り上がれるなら、それが恋愛。すればいい。
頼むから、そういうタイプの自分主体の、「自分がしたいからするんです」っていう恋愛・色恋・性的関係漫画を生産してくれませんか。
他人に望むのでも求めるのでもなく。ただ、ぶつかり合って、潔く散って、ああ、なんて素敵な勘違いだったのかって、その一瞬を心に抱いて生きていけばいいじゃない。それが、人と関わって触れ合ってぶつかり合うことの醍醐味だと思うの。
※酔って書いたので、文責は負いません。
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