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たまにでもないか? 下の記事の流れで。
理想の恋愛というか、何かこう、ほんとに好きって気持ちって、一瞬の花火のようなものじゃないかと思うんですよね。頭が真っ白になってその中に、ただ「好き」と、ほんとにそれだけしかなくなるような。肺一杯空気を吸い込んで、やっとその一言しか出てこないような。その一瞬だけ輝き燃え上がる花火のようなエネルギーで、一体どこまで走れるのかという。
だからある意味破滅的というか、いつかは終わりがくるもの。私の思う好きってそういうものなんです。でも強い「好き」ってそうじゃないかなあ? 持続性はないと思うんだよね。形を変えて続くことはあるかもしれないけど、好きの度合いとしてはきっと弱くなってる。身を焦がすようなものではないはず。一瞬だからこその強いエネルギーで目標に向かって一直線で、まあ目標でうまいこと停まれるとは思えない。きっとクラッシュかガス切れで終わるもの。勢い余って通り過ぎてしまったりとか。そういうんじゃないかな。それはそれで美しいんじゃないかな。それはそれは美しいんじゃないかな。それが理想の「好き」。
愛は何かそうじゃなくて、好きの反対は無関心なんていうけど、愛は無関心に実はよく似てるんじゃないかな。対象そのものだけでなく、対象を含むすべてを抱合し、しかし束縛はしない。すべてを受け入れ且つ手放すみたいな。その人の現在のみならず過去未来永劫すべてを、なので、その一挙手一投足に一喜一憂するのだが、それはすべてに何も感じないのと同じことではないのかな。究極的には。完成された愛ならば、対象に触れられずとも関われずとも、触れて関わっているのと同じなのではないのかな。心の中にいつも存在を感じていられるのではないのかな。
みたいなことを思うのだけど、これは理想論すぎるんだろうな。でもそんな理想を抱いていれば、愛憎劇みたいなのはアホらしくて見てられんのよ。それなら体だけの関係とか一時の盛り上がりとかノリとハッタリとか伊達と酔狂とか言ってればいんじゃね?としか思わないのよ。
私のこの理想は、多分手塚治虫のブッダからきてると思うんだよね。あとアリと巨人。どう考えてもどっちも恋愛の教科書として適切じゃねえ。ヤケッパチのマリアならアリ…か? ナシか!
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