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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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ながむ

遠くを見て泣くことと、近くを見て泣くことがあると思う。何だかそう思う。泣くしかないのと笑うしかないのが多分同じであるように。

井上雄彦がインタビューで、全てのものは良い悪いではなく、ただ、そこに在るんだと思うようになったと言っていたけど、じゃあ今は、ホモを否定したりしないのかな? あの人がホモを嫌ってるのはすごくよくわかる。あの人が大事にするものとはあまりに相性が悪い。まあ、それはそれなんだけど。
私は、ノンケというかむしろ女好きくらいの男性作家さんが作中にホモ描写を入れてくれるとすごく嬉しくなるんですが、なんかそれって、「在る」って感じるからなんですよ、多分。なかったことにするんじゃなくて、在るのは在ると。それが良いとか好きとか思わなくていいけど、「在る」ということは現実だと、それを大袈裟でなく認めてるのがいい。
在るものを頑なにないことにするって、浮気して家出した旦那が離婚届持ってきてもまだ「あの人は私を愛してる」って唱え続けるようなどうしようもない袋小路ではないか? 行き詰まりの壁に向かっても、何も見えないでしょう?
例えば私は幽霊は信じないしどちらかといえば「無い」派なんですが、それは幽霊いる派の人たちが、何にも見えてないような目をしてるからです。自分の目の前に勝手に用意したキャンバスとだけ睨み合ってるような。
でも仮に、幽霊とは人間の脳波のエネルギーであり、それが肉体の死によって完全に消滅せず、まだ解明されていないエネルギー変換によって形を変えたものが霊だ、とでも言うのなら、個々の事例によっては「在る」と考えるでしょうね。解明されていない何かを仮想して名前をつけただけなのだから、それは「在る」。
「在る」ことと「在ると思う」ことを混同してはいけないというのは至言。

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