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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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カテゴリ批判

やっぱり、自分と違う人というのは、情報としての価値が高いと思う。新しい発見がありますね。

「女でいることの窮屈さ」というのはあると思う。ない(感じない)人もいるのだろうけど、少なくとも、わたしにはある。
同じように、といいますか、「女でいることの窮屈さ」と言い表せるものを感じている人というのは、おそらく少なからずいらっしゃるのだろうけども、実はそれって一括りにして共感できるものではないのかも?と考え始めました。あくまでわたしの感覚として、の話ですけど。

※よ☆しな☆がふ☆み氏とBLについての今までの記事を前提としてこの記事は書かれています。

「女らしさの押し付け」が「女でいることの窮屈さ」という考えには、わたしはあまり共感できないんです。「女は女らしく!」なんて他人に言われても、知るかって話なので。周りに何と言われようと、結局は自分がどうするか、どのやり方を選ぶか、というだけなので。
しかし、「女は~だ」と、結論もしくは事実として、一括りに言われてしまうと、「はあ?」ってなるわけですよ。わたしの感じる窮屈さというのは、これです。「女」という性だけで一括りにして語られてしまうこと。自分が必ずしも共感し合えるわけではない人間たちと同カテゴリにされて、共有しているとも思えない特徴を有していることにされること。というか、自分に実際その特徴があったとしても、一括りで言われたら嫌だ。
それに、男か女かだけで人間を二分するなんて、あまりに大雑把過ぎるでしょう。その程度のカテゴリ分けで何かを語ることに不備がないと信じられる人はどうかしてるわ。そりゃ、傾向はあるよ。生物学的に、物理的に、確かに違うからこそ分けてあるんだからね。でも、それ以上の違いを確たる事実としては決めつけられないでしょ。しかも性別なんて、選択して決まったものじゃないのに。その人がどういう時にどうするのかを判断・予想する要素としてはあまりに弱いと思う。そうだね、わたしは、自分で選択したもの以外で判断されるのが大嫌いですね。
少し話が逸れましたが、つまり、わたしの感じる「窮屈さ」は、勝手にカテゴリ分けされることの窮屈さなんですよね。だから、性別・性差だけの問題じゃない。結局、世間一般でなされているカテゴリ分けが、個人的には窮屈なんだと思います。区切ったり囲ったりの基準やポイントにどうしても納得いかないことが多い。いやここはもっと広くとって、あれとこれは分けようよ、と、自分で全体図を仕切り直してばっかりなのは、そういうわけなんですよね。

そう考えると、自分のBL(百合も)の趣味にも繋がると思った。
わたしは特に男×男が好きなんじゃなくて、男×男の組み合わせを認めない世界が窮屈なんです。性別だけで分けて男と女の組み合わせだけが正しくて他はありえないと決められるのが窮屈。
男×女も勿論アリだし多数派なのは仕方ないと思うけど、だからこそそこで男×男を考えてもいいんじゃないの? 同じように、女×女もあっていいんじゃないの? そうやってそれぞれの組み合わせを考えていったとき、それぞれの結論があるっていうのは、特に創作の世界では面白いと思います。そういう価値観での、男×男。だから、男同士なら男らしい男同士でやれよ!って思っちゃうんですね。ほら、納得。
結局、男だ女だではなく、人間同士って個人対個人だと思っているので。性別だけで決まらない個性があって、その個性同士が偶然なり必然なりで出会い、何かが生まれたり壊れたり変わったりする。そういうものじゃないかと。実世界もそうだと思うけど、それをいろんなパターンで想定して動かせるのが創作の世界でしょう。その中に男×男も女×女もないと、その分不自由じゃないですか。

そういう考えだから、わたしのって大抵カップリングっぽくないんだな。いや、わかんないけど。世間でのカップリングの感覚がもひとつよくわかってないので。恋愛だけで繋がっているのとは違う関係が好きなんです。多分わたしが性行為の対象を恋愛の相手とイコールだと信じきれてないせいもあるんでしょうね。

ところでカップリングといえば・・・医龍はどこまでわたしに優しい公式カプを出してくれるのか・・・!

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