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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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介護と介錯

↑なんてタイトルの本を、読もうとは思わないよね。タイトルが後ろ暗いというのもあるけど、何よりタイトルだけで内容が解ってしまうから。タイトルが既に結論だから。その本が小説だろうと漫画だろうとエッセイだろうと、タイトル見たらわざわざ中身まで読む必要なくなる。
でも、結論が予め解っていてもあえて読む人もいる。それは、その結論に強く惹かれる人たち。その結論を確認したい信じたい人たち。
そこにあるのが、「共感」なのかなと思った。共感したくて読む。共感を期待して読む。誰かにとってもそうだと感じることで、その結論に自信を持ちたい。誰かに肯定されたい。それは多ければ多いほど効果がある。だから共感で読む人は飽きないのかも。同じような作品をいくつでも楽しめるのかも。
わたし自身も、「訪問者」と「かわいそうなママ」、「毒薬」なんかはそうですね。特に「かわいそうなママ」は、今までの自分の人生を肯定されたような気持ちになれる。だから何度も読む。夜な夜な読んで泣いてたりする。ただたまたまそう思える作品が見つけられない人間に育ったから、似たような話を共感できるからって次々読んで楽しめる人間が理解できなかったってことかな。「言葉を媒介する娯楽は全て情報である」っていうのが基本の価値観なので、共感できたものもその少なさ故に情報としての価値を楽しんでるんだと自分で思ってた。けど、どうやらそれはある意味かんちがいだったようです。

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