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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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夢の扉


「山へ行く」 (萩尾望都/小学館)


「群青学舎」 (入江亜季/エンターブレイン)

そうだ、私は読書が好きなんだ。

もちろん、漫画がとても好きなんだけど、それだけじゃない。本が好きだ。新しい本を買って、ページをめくるのが好きだ。昔から好きだった。
昔は、今みたいに好き放題は本を買えなくて、一冊一冊が特別だった。表紙を見て、可能ならあとがきや解説を読んで、それでやっと一冊を選ぶ。また、今みたいにネットで評判が簡単に拾えるなんてこともなかったから、自分の目とセンスでよく吟味して買っていた。借りたりも相当したけど。
そんなだから、初めて表紙をめくるとき、期待で胸をはちきれんばかりに膨らませてた。一体どんな話なんだろう? 今度は何を見せてくれるんだろう? どんな世界がこの向こうには広がってるんだろう? 誰がいて何をしてくれるんだろう?
ほぼ何の予備知識もなく、表紙なんかの限られた情報から読む前に勝手に想像して期待してた。
そうなんだよな。本を読むときの楽しさって、こういうのだと思う。あ、私にとってはね。本来はそう。
でも、最近はあまりそういうのがなくて、ネットのせいもあるんだろうけど、それよりもっと根本的に、「珠玉の短編」なんて言えるような物語が減ったように思う。長期連載が増えたというか。言いたいことをスッキリまとめてくれないし。同じジェットコースターを何巡もしてるみたいな。あの地図の先にこの地図って繋げても、確かに世界は広くはなったけど・・・。そんな感じ。別に同じものを見てるだけでもいいのに。その何かを前から後ろから横から、あるいは中から、いろんな角度から見て、ああ、これって、ああ、そうか!って、そういうのでもいいのに。ひとつのものに固有の結論はなくて、まるで、カレーライスが好きだからって延々おかわりしてるみたい。大人にならなくてもいい世界。一つ一つに意味があって成長に繋がるという構成でない。消化しないまま、ただ美味しい美味しいってだけでおかわりし続ける。
他の人は知らないけど、私にとってはそれって全然楽しくないんだって、ここでもうハッキリさせとこうと思う。エンターテイメントなんだから楽しくて面白ければいいんだけどさ、とか言ってたけど、そんなの楽しくも面白くもないわ。だって、ワクワクもドキドキもしないもん。次は何してくれんのかなって楽しみがないもん。別に、頭を使えるものが良いとか楽しいとか言うんじゃないけど、始まりと終わりのないものって楽しくない。ていうか、気持ち良くない。

そんな中、久しぶりに純粋に楽しめたのが上に上げた2作でした。というか、萩尾望都は本当に外れがない。好きになれない話もあるんだけど、次は何を見せてくれるんだろうって、そんな期待感を毎回抱かせてくれる。手塚治虫もそうだ。アプリの手塚治虫マガジン毎週読んでるけど。いや、今読むとオチが古かったりするけど。でも、まず火の鳥はどの章も広大な世界を見せてくれる。しかもまとめてくれる。そしてそれら全てが別個でありながらひとつの大きな何かになる。自分の目と脳だけでは知覚できないレベルのものを見られる。そういうのが、ドキドキワクワクだわ。
入江亜季は久々のその類のヒットで、古き良き時代のウィングス系列の漫画を思い出した。良くも悪くも、高河ゆんはエポック・メイキングだったからな・・・。山田睦月さんとか好きだったなあ。初期の押上美猫さんとか。
先人たちが耕しまくって実らせまくったから、今更目新しい何かを生み出すってのが難しいのはわかるけどね。それだけの問題じゃないような気がします。カテゴライズが確立してきたというのもあるけど。やっぱり多分それだけじゃない。

さあ、次はどんな話なんだろう?って思わせてくれる作品が好き・・・って趣味は、この大検索時代でも芋蔓式には見つけられないというのが結構辛いです。そういうせいで、マイナー嗜好って言われるのもあるんだろうな。
あと、確かこのブログ始めた頃に「恋愛だけしてるんじゃないやつらの恋愛ものが読みたい」って言ってたけど、それってポケモンだった。ポケモンの恋愛エピソードみたいなのを探してたんだわ。あと、朝基まさしさんの描く男の子と女の子みたいなの。これも、なかなか見つからなくて困る・・・。私に優しくないこの大検索時代。

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