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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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完結したので(新装版)


「同棲愛」 (水城せとな/リブレ出版)

のことでも。

人というものはどうしても何か足りないけれど、そこんとこ埋めるべきなのは、恋人じゃない、親でもない、ねえそうでしょ?なんてことはB’zも大々的に歌ってるし、このブログでもちょっとしつこいくらい書いてるので、そのテーマについてはもういいとして。

「したい」より「なりたい」で生きてる人間は、幸せが遠いんだなあと。
「したい」だけなら、すればいい。できたらそこで幸せ。程度にもよるだろうけど。でもきっと、したら幸せで、するたびに幸せ。幸せになりたければ、したいことをすればいい。
でも、「なりたい」なら、したいことだけしていては叶わない。のだよ。したいことを我慢もしなくてはならない。なるためには。そしてなれたとして、それでも、そのなりたかった姿であり続けなければ、幸せはそこで終わり。つまり、幸せになった瞬間から、不幸に落ちる危機感や漠然とした不安と戦わなくてはならない。
「したい」ために「なりたい」人は?なんてわざわざ訊かないでね。それは結局「したい」人でしょ。なってすることが目的なんだから、なってできたらそのたびに幸せでしょ。

話が抽象的過ぎてわかりにくいだろうけれども。
「誉められたいからいい子でありたい」ならまだいいんだ。誉められるたびに幸せだから。まあ、人によるけど。
ただ自分のポリシーのために「聖人君子でありたい」という人は、幸せにはなかなか届かないのだ。「聖人君子である」という自分自身の有り様が大事であって、その時々で聖人たる振る舞いができなければ、それはなったとは言えないので、一瞬たりとも気を抜けない。ああ、幸せの遠いこと。まあ、人によるけど。

さらに具体的な例を挙げようかと思ったけども、ちょっとめんどくさくなったので、気になった人は同棲愛読んでみて!!
読んでもきっとわからないだろうけどね!

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