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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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王道

ドラゴンボール改を見てたらブリーチの何が悪いのかよくわかるなーとか思いつつまとめてみる。


最近の漫画見ててなんか物足りないなと。今の漫画より昔のほうが面白かった/良かったという話ではなく、かつてあった面白さが今では薄れてる気がする。

それって、演出の問題かもなあというのがひとつ。
例えば、セルの登場シーン。まず、世界中で人が蒸発したように消えていくじゃないですか。服だけ残して次々消えていく人々。そこで一体これは何なんだ、何が起こってるんだ、こんなことをするのはどんな奴なんだと、疑問と不安が高まっていく。そして、登場するその時でも、パーツごとに映し出されるその姿。何? 何だ? 何者だ? と更に期待が高まる中、全身が現れ出てなお、「何だこいつは!!??」 と、更に高まる謎!!
そういうの、そういえば最近の漫画にないなあと思った。何かが起こる、起こってる、それはわかっているのに、だからこそ余計わからない。小出しに見せられる情報に焦らされて、謎を追わされる感。
そういうの、最近ないなー。何かが起こるとさえ察することないうちに何かが起こって、「え?」ってパターンが全盛ですよね。誰がこのパターン始めたのかなーと思ったけど、考えたら昔からこれもあったパターンですよね。でもじゃあなんで、こっちばっかりに特化したのかな?
まあ、楽ですけどね。ただ意外なこと起こすってのは、比較すると楽。じわじわ小出しに見せてもバレないほどの謎や出来事や事実って、ものすごくハイレベルな創作だと思う。そこまで予想もできない突飛なことって、天才でもなけりゃそう簡単には考えつかないですよ。
こういう演出してる(してた)人でぱっと思いつくのは、まず手塚治虫、そして現役の荒木飛呂彦、あとは大友克広と鳥山明・・・くらいかなあ。
この人たちの共通点て、昔の洋画が好きってのがあると思うんですよ。自分自身洋画に詳しくないので、細かい説明はできないですけど。でも、考えたら昔の洋画的な演出じゃないかな。じわじわ見せていって最後にすべてのピースが繋がるように謎が解けるってのは。昔のサスペンスやホラーやSFって、そういうのじゃなかったかな? 何というか、技術の足りなさ(なんていったら失礼だが)を演出という知恵で補っていた、手仕事的な細やかさ。そういうのを感じる。
今では見せる技術が進歩したからか、もうそういう演出が需要なくなったのかな。全体的に娯楽については、わかりやすさが何より優先されてる気がしますよね。それはそれで大事なんだろうけどさ。ストレス解消にはいいんだろうけどさ。でも、そういうのばっかりじゃ物足りないんだよなあ。
時代時代で新しい演出法が出てきて、そういうニューウェーブって個人的にもすごく好きなんですけど、どうにも飽きる。昔楽しんだ斬新だったはずのドラマを後で見たら、もんのすごく寒いことってないですか? 結局時代を反映した新しさって、そんなもんだよなと思う。いや、いいんだよ! そういうの出てくるのすごくいいと思うんだけども!
でも結局、いつの時代も楽しめるのは、王道ですよ。意外性のある王道。

あともうひとつ、最近の漫画って、「○○向け」のものばっかりな気がする。対象が最初から細かく設定されてるような。
「いったい何が始まるの!?」みたいなワクワクがほしいんですけど、という話をしようとも思ってたんですけど、これはかなり個人的な好みの問題のような気がするので、今日の話はこの辺で。

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