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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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日本語と日本人

前に、「空気読めない」って何だよ?っていう記事を書いたと思うんですが(消したような気もするんですが)、でも本当にそう思うんです。
「空気読めない」という自称・他称の是非じゃなくて、あまりに表現が曖昧すぎるだろと。
「場にそぐわない」のか、「失礼」なのか、「不躾」なのか、「タイミングが悪い」のか、それぞれ全く意味合いが違うし、まとめて責めていいもんじゃないのに、何で一括りにしちゃうの?

日本人て、言葉を曖昧に濁すのが好きですよね。
日本語が曖昧なんじゃなくて、日本人の日本語の使い方が往々にして曖昧なんだと思う。
日本語って、使おうと思えばいくらでも微細に正確に物事表現できる言語なんですよ。だって、表意文字と表音文字を併用してるんだから。他言語に比べて、どれだけ表現できる幅が広いことか。品詞分類も、欧米の言葉と比べたら遥かに複雑ですよね。副助詞だの終助詞だの、微妙な含みを持たせられる付属語もたくさんあるし。
にもかかわらず、多くの日本人は、何もかも輪郭をぼかして表そうとする。良い意味も悪い意味も同じ言葉で表して判別しづらくしたり。

「ありがとう」の方が適切な場合に、「ごめんなさい」って言われると、この人とは付合えないなあと思ってしまいます。
別にどっちを使おうと悪いとは思わないけど、とりあえず謝っとくタイプの人はわたしとは意思疎通が難しそうだから、避けるようにしています。

まあね、曖昧な表現自体、別に悪いわけじゃないんですよ。
ただ、わたしがそういうのダメなんですよね。わたし、話の早い人が好きなので。だから仮に、曖昧な表現でこそ話を簡潔かつ適切に伝えられる人なら、別に問題ないです。

みたいなことを、久しぶりにやや長いメールをしたためながら考えた。

あとねえ、韓国語には他人を罵る言葉が日本語の500倍ある、なんて話聞きますけど、それは単に日本人の表現の曖昧さの問題だと思う。
本来良い意味の言葉も、侮蔑的に使えるもんね、日本人は。
という反論を誰もしないので、不思議に思っていました。

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