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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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水!城!せと!な!

中学の時。「あいつ(新卒の男性教師)変態やで! 森高千里のどこが好きなんか聞いたら、『脚』やって!」
高校の時。「あの子最低やで! 女の子のこと顔で選ぶんやで!?」
高校出てから。「中居君(SMAPのね)は自分のこと好きな子が好きなんやで!?(だから恋愛観が最悪)」
単に私の周りにこういう(我田引水的な?)女が多かっただけかもしれないけど、女像として私は大体こういう人種を想定してしまっている。でも多分恋愛漫画を読む層は大体こういうのじゃないの…? フィクションに自分の願望を求めるのはわかる。だから女に甘い話が受けるのもわかる…んだけど、恋愛は女の幸福製造並びに継続システムだと「本気で」思ってる層が読んでそうでイライラクラクラするんだよ!
いやいやいやいや。あれだけ脚アピールで売ってる芸能人を脚で好きになって訊かれたから答えてそれの何が悪いのか。お前はじゃあ男を顔で選ばないのか。自分のこと好きになってくれる子を好きになれるならなにそれ超ハッピーなシステムじゃん誰も傷つかないじゃん。なんで女ってそういうこと正しいと思い込んで発言するんだろう? 本当にさ、顔や体で好かれることの何が気に入らないのかっていうさ。いや、気に入らないというのは人それぞれだからまあいいんだけど、あのいや自分はそういうとこで好きになったりしますよね? 好き好き言われたり褒めちぎられたりしてつい好きになっちゃうことだってありますよね? そのくせ男がそうだとなんで悪いのか…? ほんとこういう女の主張はまともに聞いたら眩暈がする…。
そんな私の気付け薬が、そう、水城せとなの恋愛論だ。末法の世に正法を見たってきっとこういうこと。よかった…この水…飲める…みたいな。
いや、そもそもさ、恋愛という個人的な情動に正しいとか間違ってるとかないじゃん。少なくともあんたらがやってる範囲ではさ。なのになんで人の恋愛を普通に批判するのさ?
顔や体で選ばれるのは心外だ(本人のこと)→わかる
顔や体で選ぶなんて最低!(他人のこと)→お 前 が 言 う な
公共の場でいちゃつかれると迷惑(公のこと)→わかる
好きでもない人といちゃつくなんて!(個人的なこと)→お 前 が 言 う な
こういう当然のことをすっきり描いてくれる。
そうだなー。本当に純粋に理想の恋愛というなら、私は大学教授に片想いしたかったわ。ほんっとうに何も望まずに、ただただ好きでいるような恋愛をしたかった。現実にはそんな才能がまずなかったけど。
でも別に水城せとながそういう恋愛ものを描いてくれるわけではなくて。理想はあるよね、思うのは自由だし誰に否定されるものでもない。ただそこから生まれる欲を実現させる過程では許されることと許されないことがあるよ、と。許されようと許されまいと欲しいものは手に入れるという道は確かにあるけど、それは肯定されるものではない。しかし恋愛なんか、元々肯定も否定もされるものではない。その上で、じゃあどうするの? ということを描いている(のだと思う)。まったくもってその通りだと思います。

あとそういえば中学の時に、「3人兄弟いうことは、親は3回はヤッたいうことや」ってニヤニヤしてる男子もいたな…。何わかりきったことを…ていうか夫婦で3回やってたからってだからってだからって何? と思ってました当時。が、そういう割り切りも思春期にしては性に対する垣根が低すぎて駄目なんですかね?

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