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岡本喜八の後のガンダム(Z)は殊更に虚しいな。
ということで気づいた。あれね、決して現実じゃないのよ。
岡本喜八の戦争(絡み)映画は、現実なの。太平洋戦争経験から生まれてるの。自分にとって現実であった戦争。
対してガンダムはベトナム戦争なんだよね、多分。日本においては戦後すら既に終え、生活に人間らしさを取り戻した日常に、地続きの異国の現実として与えられたショッキング映像。報道としての、視覚的にのみクリアーな戦争。その間接的なショックを「これが戦争の現実だ」と突きつけられても、それって伝言ゲームじゃないか。手元に届いたそれは決して戦争でも現実でもないよ。
これが、私が長らく感じていた80年代の物語作品の居心地の悪さかも。映像技術の進化によってもたらされた異国のショッキング映像を、「現実」として突きつけられる茶番感。現実も何も、描いてるあんた自身が映像しか見てないじゃん。ああ、萩尾望都の「なのはな」に抱いた違和感もこれと同じだ。
80年代は映像偏向の時代だったのかな。でも鮮明な映像は、そこに重点を置くのなら報道やドキュメンタリーでいいよ。わざわざそのショックを物語に起こして「戦争反対」だの「戦争の悲哀」だのとわかりきったテーマを強調しなくてもさ。しかも最終的には軟弱なヒロイズムに収束するんだもの。戦争を題材にしておいて、結局自己実現かよと。ある意味ひどい驕りですよね。
で、バブルが弾けて余裕がなくなって、やっぱり現実ってこんなもんだよと開き直ったのが90年代という感じ。80年代は本当に居心地悪かった。
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