忍者ブログ

不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

アンテナ

村上龍が、「読み物はすべて情報だ」というようなことを言っていて、
ああ、そういう見方でもいいんだと、わたしは思ったんですけど。

実は私もそうなんですね。
たとえ物語であれ、すべての読み物は情報だと思っています。いや、読み物に限らないかな。主に言語を媒介とした、見聞きするものの大抵は。

だから、初めて読んで、情報として理解・蓄積できるまでは繰り返し読むこともあるけれど、その後はそうそう読み返したりはしません。
忘れてしまって情報を入れなおす必要が出てくるまで、読むことは滅多にありません。
また、世間一般に充分広まっていて、いつでも見聞きできるものに関しては、急いで手を伸ばすこともない。いつだって手に入る情報なら、自分の中に入れようと入れまいと同じだから。
(そうやってるからマイナー嗜好になるんだと思う)


そういう考えだと、やはり、人と同じものを描くことに意味はないなと。
人の描かない、まだ世間で見聞きされていない情報でなければ、供給する意味はない。

更に言うと、1を見て10まで見透かせるような情報だと、全部読む必要がない。
だから、最後まで読者を離さないためには、意外性が大事なんだと。
いつもそうやって、人をびっくりさせることばかり考えて描いています。
もしくは、1と10を知っていても、その間の2から9を知らなくては、1と10の意味も理解できない、そんなものでなくては、とか。

そう思ってるんですけど。

でも、そうでなくてもよかったりとか。

最初から、求めるものがはっきりしていて、思った通りのものを得られて、それで満足する、みたいな、そういう楽しみ方もあるようなんですよね。世間には。
わたしはそういうものに価値が感じられないんだけど。
喩えて言うならそれは、自分に都合のいい情報であれば、その真偽は問わないという、そういう考え方ですよね。


でもねー、結局、読み物って娯楽だから。
そのとき気持ちよけりゃいいんですよね。真偽なんか知るかって話ですよね。めんどくさいこと言わずに楽しめればいいんですよね。


二次創作同人をやって、わたしが知ったのは、ひとつはそういうことです。

人は往々にして、自分に都合のいい情報だけを選り好む。

この情報化社会で、溢れる情報の中、それは溢れているからこそ、すべてに目を通すなんてことはできなくて、だからこそ人は、ごくわずかな狭い範囲の情報だけを、簡単なラベルだけで選り好む。

ということを、知りました。

つまりはジャンルとカップリングですけどね。


なるほどなー、と。
あの、別に批判ではないです。いい勉強になりました。


考えたら、子供の頃から結構なんでも情報として読んでたなあ。
で、結局、何なの?と。全体として何が言いたいの?と。
パーマンとか、最終回はバードマンの正体が明らかになるんだと思ってた。(しかし調べたところならないようだ)
最終回ですべての情報が繋がるんだと、勝手にそういう期待をして見てました。
しかしどうやらそういうものではないらしく、今でもバードマンの正体は謎のままです。



こっち移ってからわたしの更新頻度が上がった。
やっぱり、あんまり誰も読んでないと思うと何でも書けるからかな。

PR

忍者ブログ [PR]