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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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劣等感は劣等者に

鈴木先生という作品(漫画)の気持ち悪さは、全篇ににおいたつ性的コンプレックスのせいみたいな気がしてきた。しかも発酵してる。性的コンプレックスの発酵、それは即ち、岡村隆史の最近の言動に顕著な、「童貞をこじらせた」感。
童貞はいいじゃん。処女も別にいいじゃん。恋愛・性交経験がない30代とか40代とか、それもいいじゃん。何の経験もスペックも持ち合わせていなくても、聖女を望んだって王子様を望んだっていいと思うよ。いや、わたしが許可を出すようなことじゃないんだけどさ、勿論。
しかし、いい年してそんなコンプレックスって、笑い飛ばせないものなんだろうか? いや、笑い飛ばせなくたって勿論いいんだ。どんな問題が大きいか小さいかって、それは完全に人それぞれだからね。でも、笑い飛ばせもしないコンプレックスを、「いい年して」、なんで外に出すんだ?
と考えてみたところで、その表現を好んで読む人がいるんだもんなあ。だから外に出すことも正当なんだろうなあ。

あの漫画はネタの選び方も表情の描き方も主人公の語り口調・諭し方も、全部、作者の(?)性的コンプレックスから養分を得て蔓延ってる感じがする。
中学生なんか所詮オスとメス、みたいな描き方は、ものすごく同意できるんだけどなあ。それを性的劣等感をもつ性的劣等者の観点から描かれると、何とも気持ち悪い。でも、その観点から描かれているからこそ、共感できるって人が少なからずいるんだろうなあ。
ドラマだと、作者のその視点が薄れるから見やすい。個人的にね。

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