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「鏡に映る像は左右対称」と思ってしまうのはなぜか。
「だってどう見ても左右対称やもん」て、大抵の人は返してくるんだけど、「どう見ても」なんてことは絶対無い。その認識だけはおかしい。「左右対称と言えなくはない」とか、「左右対称って言い方が伝わりやすい」なら同意するけど。
「左右対称」っていうのはあくまでひとつの画像についていうもので対象の軸がどうのとか、それはもちろんそうなんですが、わたしが異議を唱えてるのはそこではなくて。「左右」の部分なんです。
まあ、いいんだ。中学のとき気づいてからずっと、誰に言っても今の今まで、一度たりとも同意どころか理解もされたことないし。
あまつさえ頭おかしい扱いまでされたこともある(うちの家族、否定の語調が超強いから)。
他にも、「走ってる人の後ろには、その走ってる方向に風が吹いてる(空気の移動がある)」についても、「カーナビは衛星とやり取りして現在地から目的地までをナビしてる」についても、そんなことあるわけがないと全否定された。うちの家族は何で、あんなに他人を否定するとききつい言い方するんだろう。
うちの父なんか、自分の意見と辞典や文献の内容が違ったとき、「辞典が間違ってる」と何の疑いもなく主張する人でした。わたしもあんまり人のこと言えないけどね。
話が逸れましたが、「鏡に映る像は左右方向に対称というわけではない」という意見を、周りの誰にも理解されずにいたわたしは、しかしあるとき、赤本の国語の問題で同志と出会うのでした。
認知心理学だったか何だかの学者さんの文章で、そのことについて語ったものがあったんですね。
初めて同じ考え(もちろんわたしよりはるかにきれいな結論をつけてらしたけれども)の人を見つけたときのあの喜びは筆舌尽くしがたいものでした。いやまじで。
別に学者が唱えてるからって、必ずしも正しいとは限らないんだけど、それでも、ちゃんと考え抜いたら同じ考えに至る人がいるということが嬉しかった。
そういう風に、近しい人間に同意や理解をされない人間が、本を読むのではないかと思います。
近しい人間とだけでは心が満たされないとき、孤独を感じるとき、遠くの誰かに手を伸ばす。
だからといってそんなものを描きたいわけでもなんでもないんですけどね。
孤独を感じないならそれにこしたことないし。いいじゃないか周りの誰かがわかってくれるなら。
それに本を読んで勝手に理解されたとか同じだとか思ってるだけってのも問題だしな。好き勝手思い込んでるだけの可能性もあるし。
結局何が言いたいかっていうと、本ばっかし読んでたらダメってことです。
最近、ある人のブログを見て心底そう思った。
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