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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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No longer

読めば必ず泣く漫画。
「かわいそうなママ」 「イグアナの娘」 「訪問者」 「銭ゲバ」(最終章) 「Eクライシス」(3巻)
に加えて、

「いつも上天気」 (聖千秋/集英社)

別マ連載なので、例によって毎回は読めず、飛ばし飛ばしで途中まで読んでた作品。

本当に、愛し方と愛され方って、誰でも親から学ぶしかないんだと思った。納得したし痛感した。
親から子に与えられるのは、無償の愛が当然で、にもかかわらず必ずしも与えられるわけではなく、その欠けやずれを、一生かけて求め続けたり拒絶し続けたりしてしまうんじゃないかな。
そんなことを今まで知らずに生きてきたというか、完全に裏返して捉えていた自分に少しびっくりですね。考えたら、当然のことなのに。心理学でも多分そう論じられているのだろうに。

第1話を立ち読みしたとき、何でか、これは自分の話だと思った。でもすぐに、そんなことないって思い直した。だってひとつひとつ挙げていけば、自分とこの主人公の共通点なんか、殆どない。そしてわたしが彼女と共有している点なんか、きっとそう少なくない人々が持っているものだ。
自分を物語の主人公に重ね合わせて正当化してしまうのは悪い癖だと自分に言い聞かせて、、それを直す努力を始めたのが、その頃。
でも、今ちゃんと最後まで読んで、ああ、確かにそうだ。わたしの人生、そんな風に流れてきたって、思える。

最近不思議なのは、当時よくわかっていなかったのになぜか気になって読んでいた作品は、今改めて読んでみると、本当にわたしの人生と似たように構成されていることです。大抵、結論を知らないままでいたのに。だから、その作品に影響されたり真似したりしたなんてことないのに。わたしの行動だけでなく、わたしとかかわった人たちの行動まで、なぜか非常によく似ています。
それは良く考えれば、そういった作品に知らず知らずに惹かれたのはわたしなりに目指したり理想としたりする生き方があってそれに似ているからで、かつそれなりにそのとおりに生きてこられたということなのでしょうか。でも悪く考えたら、相変わらず漫画の主人公に自分を重ねて正当化しているんでしょうね。もしくはわたしだけでなく、大抵誰の人生でもそんなものなんですかね?

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