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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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古き良き

「11月のギムナジウム」。ふと、買いました。昔読んだことあったんだけどね。

わたしが萩尾望都を好きな理由は、自己肯定のようです。
あの人の描く主人公って、大抵、知らない方が幸せだったことを知ってしまったり、言ってはいけないことをずっと胸に抱いていたり、そういう、消化しきれない秘密があるんですよね。年齢に不相応な大きさの事実を持て余してる。
そういうのがなー、わたしの人生を肯定してくれるんだよな。
あと、元気が出るというか、頑張ろうと思える。いいよ、ずっと抱えていくよ。我慢するよ。って思う。


児童小説も、結構そういうのあるよね。
ていうか、児童小説って、何も知らないし考えてない子供を早いうちに明るい道へ導くタイプと、既に知ってしまって考えてしまった子供を肯定していくタイプのものが多分主だと思う。
わたしは小さい頃、それはもう完全に、後者にハマりきっていましたとも。後者は十代半ばになると、オタク的なものにバトンタッチされてしまうんだけど。てか、完全にわたしタッチされました。
だから昔は、オタクって賢い子供の嗜みだったと思うんだけど。結構難しかったもの。内容が知的だったよ。宗教とか自然科学とか心理学とか、そういうの絡んでた。BL(という言葉はなかったけども)も、そういう系統だったよね。

最近は、バカでも解るオタク文化が溢れかえってますよね。
「うちの子が男同士のエロ漫画を読んで、成績が全然上がりません」なんて親御さんの悩み、昔はなかったんじゃないかなあ? そういう子は、寧ろ賢かったよね。
て、自分のこと言っててごめんね~。

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