忍者ブログ

不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

男×男

の、醍醐味。個人的な。
いい加減その話題しつこいと思う人はスルーしなさい。

「BLとして好き」という概念があるということを知って、何となく再考。

小学生の頃、高河ゆんや尾崎南を嗜んだのは、あまりにあの人たちが本気で自分の世界を展開していたので、陶酔させられてしまったんだと思う。あの新しさ(当時のわたしにとって)とか、性的興味と背徳感とか、そういうものが満たされて、夢中になったんだろうね。結局のところ、子供がエロ本に興味を持ち出すのとあまり変わらないんじゃないかな。そうだね、女向けのエロ本だったんだよね。それまでも、当時早々に有害図書指定された「いけない!ルナ先生」擁する月マガや、そう濃厚な描写はないにせよ対象年齢的に性的表現も普通だったビッグコミックオリジナルを読んでいたけども、今思えば、やっぱりあれは女向けじゃないんだよね。だから、それよりはBL(というか高河ゆんや尾崎南)を選んだ。というところかな。
そこを入り口として、いわゆるBL(女の描く男×男)というジャンルを手探りで掘り進めていくんだけど、今振り返ってみて、全くといっていいほどその頃読んだBLで自分の中に残っているものがない。あ、その頃っていうのは、小学校~高校あたりです。作家で選んで買ったり読んだりすることもなかったしな。そっち方面で知った作家さんで、唯一単行本を買ったのは、茶屋町勝呂さんでした。絵がずば抜けて上手くて、しかもBL誌でありながらほとんど男同士の恋愛・性描写がないところに惹かれたんですね。じゃあBL誌読むなよって話なんだけど。でも台詞やキャラクターの描写もすごく良かった。内容がちゃんとあった。今思えばですけど。
性的愉悦を満たされたいと言いつつも、あまりにご都合主義だと面白くなかったんでしょうね。子供のくせに贅沢だった。今と同じで。当時から、気持ちいいからといってずっと腰を振ってはいられなかったの。飽きがくるのが早い子供だった。

と、そもそもあんまり向いてなかったのかもしれないけど、それだけでなく、何となく、何の経験もなくそういうの読んでる自分が気持ち悪くなったり、実際自分も経験してみたら、より自分に近いヤングレディースの方が良くなったりで、いつの間にかBLは読まなくなった。唯一読んでたのは、水城せとな。っていうか、「同棲愛」。これも途中ちょっと飛ばしてたけど。二十歳過ぎたくらいの頃に、たまたま見かけてまとめて読んで、その後最終回も見たんだったんじゃないかな。
で、最終的にわたしにとってBLってこれだったんですね。読んできたBL(BLというジャンルが確立して以降のBL)のうちで、自分の中に残ったものが、ほぼこれだけだった。
だから、わたしが思うBLらしさというのは、「男がすなる日記というものを女もしてみむとてするなり」みたいなものです。女が、自分のことを少し自分から距離を置いて描くというか。女のままでは切り離せないものを、男キャラクターに背負わせるというか。自分のことじゃないような気持ちで描くための手段。
実際そういう傾向は、それなりにあった時期もあったんじゃないでしょうか。BL界で。萩尾望都なんかもそれじゃないのかな。で、わたしが選んで読んだ男×男ものはそっち方面に偏ってた。だから、わたしにとってのBLってそういうものとして落ち着いてた。

二十歳前後はBLはほぼ読んでなくて、読んでたかもしれないけど、特に意識しては読んでなくて、恋愛漫画のバリエーションのひとつというか、たまたまその作品は男と男の恋愛を書いている、くらいの感覚でしか読んでなかった。まあ、かなり遠ざかってました。BLからは。
で、舞い戻ったのが、結婚してジャンプをちょっと読むようになって、NARUTOがいいかもと思い始めた頃、オタク以外の娯楽がない田舎に引っ越してからでした。ものすごく久しぶりに、コミックボックスJrを見た。ああ、そういえばこういう世界があったと思い出した。原作を違う角度から見る方法のひとつとして、また楽しみ始めたんですね。
それで同人を自分でも始めたんだけど、そういえばNARUTOの頃は男×男は描いてはなかった。シカテマメインのギャグで活動してました。イタ鮫も恋愛もエロもなくギャグだったしな。カプ萌えを当時はほぼ知らなかった。読む方はカカイルエロが多かったというか、当時好きだった作家さんがそのカプだったからね。結局は、作品への愛があるのが好きでした。自分自身、カプ愛抜きで作品愛だけで描いてたし。
自分でホモを描くようになったのは、銀魂やるようになってからですね。

長くなったので、ここでいったん記事を切る。続きはまた後日。

PR

忍者ブログ [PR]