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「同棲愛」新装版では、わたしは7巻が最高に好きなんです。
主人公(の1人)の光太郎は、年の離れた兄の彼女・志穂に誘われて、二人の仲を壊すつもりで関係を持った。が、志穂は逆にそれを弱みとして握り、自分と光太郎の兄との、妊娠を契機とした結婚に光太郎が反対できないようにする。光太郎は、彼女のそんな強かさと汚さが大嫌いで、そんな女が敬愛する兄と結ばれるのが許せなかった。同時に自分のことも許せなかった。後に、兄夫婦の愛の結晶として育てられている子供は、実は自分の子であることを知り、自分と志穂への嫌悪を強くしていく光太郎。
そんな彼が、家を出ていろんな人間と出会い触れ合って、幾分か気の持ちようを変えることができて、初めて志穂とその息子に、自分から会いに行く。そこで、息子の本当の父親について光太郎にだけ明かしたことを謝る志穂に、「俺はそれでも自分の罪の重さを知るべきだった」という光太郎。しかし、そんな彼に志穂は言う。「あの子は自分と夫の子だ」と。「おはようもおやすみもお箸の持ち方もボタンの留め方も、全部自分たち夫婦で教えてきた。それが今の全てだ」と。
わたしは、ここで、ああ、いい話だ!!と感動したんですけど、あれ? もしかして間違ってる・・・? 志穂さんは汚いけどいい女だと思ったんだけど・・・。
まあ、旦那(兄)にばれたら最悪なのは解ってる。ということは、旦那側について考えたら、志穂のやったことなんか最低なのかな・・・。確かに、旦那に秘密で他の男の子供を育てさせるなんて、やってる奴が実際いたら、わたしだって許せないけど。ということは最低なのか?
・・・・・・と、ふと思い至ったのですが、近くに誰も「同棲愛」について語れる人間がいないので、ここに書いてみた。
実際にあったら許せないのに、この話では志穂さん支持になったのは、多分、彼女が真剣に全力に自分を含めた大事な人間全員の幸せに努めてるように思えるからなんですよね。彼女はそのために、あえて自分が泥を被ったのだと思った。いや、誰もそんなこと頼んでないし望んでもないんだろうけどね。
でも、その結果、結局みんなが幸せ(それ以前に比べて)になった。そのために犠牲にしてしまった光太郎にもタイミングを選んで謝って、且つ、彼が自分を許せるようになるような言葉をあげた。それは、「いいこと」なんじゃないのかな?
彼女は光太郎に、「幸せは貪欲に求めてもいいのよ。こーちゃんが不幸になったって、誰かが幸せになるわけじゃないんだから」とも言ってあげるんだけど、この台詞に、彼女の人生観が集約されてる気がする。
あえて不幸な道を選んだって、本人は勿論、他人だって誰も得しない。幸せになればいいのだ。踏みしめてきた足跡がどうであれ、これから向かう方角は、是非光り輝く未知のある方を。やってしまったことはなかったことにはならない。しかしその罪は抱え続けながらも、それでも大切な人たちの手を引いて幸せに向かっていく。
そうだな、結局わたしはそういう考え方と生き方が好きなんだな。だからそういう面が見えるからこそ、志穂さんはいいんだよな。
でも、どうなのかな・・・。水城ファン(というか「同棲愛」ファン)はともかく、そうでもない人たち、特に一般のBL読者からしたら、志穂さんはナシなのかなあ・・・。と、ふと思った。
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