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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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どうでもいいこと

恋愛漫画について思うところを書いたりしたら、そもそも自分は人との繫がりについての感覚が根本のとこで欠損してるんじゃないかと考え始めたりして、ああ、こんな話みんなどうでもいいよなあという結論に行き着いたのでした。
自分は人とは(普通とは)違うアピールみたいだし。アピールというか、語りになるし。

というわけで、今日はそれとは違うどうでもいいことをちょっと取り上げてみます。

どうでもいいんですけど、漫画で親(両親)が死んでいるという設定を描くとき、ものすごく悩んでしまうんですね、わたしは。
交通事故死というのがありがちな設定なんですけど、でも、その設定を本気で考えてみると、そんな軽々しくかけなくなってしまうという、めんどくさいものの考え方をするのです。
交通事故って、自損なのか他損なのか。自損なら、賠償金問題にはならないのか。残された子供たちは、遺産を相続すると同時にその責任も負ってしまうんじゃないのか。仮にそれを放棄したとしても、遺産を継ぎつつ責任は免れることができたとしても、世間の目とかさ・・・。ただ「親がいない」というだけの設定にはできないんじゃないか。ご近所さんから疎遠にされたり、学校でも噂されたりいじめられたり、そういうことになるんじゃないですかね!
他損で(被害者として)亡くなったとしたら、金銭的問題と責任問題は回避できるけど、加害者への恨みは? 「殺された!」と恨んでしまわないの? 「親が死んで悲しいけど、元気出さなきゃ!」なんて簡単に気持ちを切り替えられるもんじゃないんじゃないのか。やっぱりこっちも、単なる「親がいない」というだけの設定にはできないぞ。
交通事故でなく病死であったら、そんな大病なら遺伝的要素があって子供だって危ないんじゃないかとか、大病ではなくて医療ミスだとしたら裁判とかやっぱり恨みとかが問題として残るんじゃないかとか、だってそうじゃないか? 人が死んで誰かに責任が問えるなら、問うてしまうのが人間というものでしょうよ!
自殺は自殺で、その理由が気になるし。ていうか、多分これが親の死因としては漫画では最も因縁が残る理由だろうな。基本、その理由が後に繋がってくる場合しか使われなさげだわ。

みたいなどうでもいいことを考えて、結局そんな設定は使えないのです。親がいない理由は、なんか別に設定するのね、結局。
読むときは気にならないんだけど。漫画読んでて親が交通事故で死んだって設定があっても、別に引っかからずに読めるんだよね。うん。でも、自分で描こうとすると気になる。どうしても割り切れない。

まあ、どうでもいいんですけど。

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