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記憶にある中で一番吹いたスレタイ http://kopipe8823.blog13.fc2.com/blog-entry-1175.html
トレス疑惑な絵描きの画像貼ってこうぜ http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/3799146.html
ドラゴンボールとけいおん!
承太郎と結婚した女性って何を思って結婚したんだろ http://iekemencom.blog9.fc2.com/blog-entry-2254.html
日向小次郎クソワロタwwwwwwwwww http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/3335878.html
さすが尾崎南大先生が惚れるだけあるわ。
三次元もアリかも・・・って思わせる画像 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/3798794.html
わたしのブクマにはこういうスレがむちゃくちゃある。
恋愛=パートナー探し
って考えはどうかなあとというか、個人的には場合によっては否定的です。だって、合うか合わないか、自分のものになるかならないかを優先しがちになっちゃうからね。
悪いとは言わないが、それって恋愛としては間違ってるだろう。恋愛は、好きか嫌いかでしょ。「好き」を動機としない他人への働きかけは、恋愛ではないと思う。それは美しい恋愛ではない。
好きでもない相手とつきあうというのが、何より恋愛的に自分の価値を下げることだと思うよ。
して悪いってわけではないけどというか、わたし自身がそんなこと言えるアレじゃないんですけど。
相手を好きより自分が大事が強いならば、相手のことより自分のことを考えてしまうならば、そこは一人で解決するのが美しいと思うんだよなあ。血だるま剣法のようにさ。って、それは違うか。でも、求道的にさ。誰かに心の穴を埋めてもらおうなんて、だってなんだか醜い気がするわ。別に、悪くはないんだけどさ。お互いの合意の下なら。「好かれたい」「愛されたい」「認められたい」は、恋愛ではないと思うのよ、少なくとも。「好き」「愛してる」「与えたい」でないとさ。
という観点から、(質の悪い)少女漫画と、サブカル的ガールズ漫画と、女向けの男×男漫画は、どれがどれよりどれだけどう優れてるとか好きとか理解できるとかがないわ。個人的にはね。ジャンルごとではね。個々ではあるけどね。
少女漫画なら、せっかく女の子全開なんだから、好きとかわいいを専売特許にドキドキで走っちゃうような女の子が見たい。ガールズは、ガールなのかそうでないのかそれ以外の自分らしさなのか、せめて自分の向かう方向くらい自分で決めてくれ。男×男は・・・・・・自分とは切り離した萌えであるというなら、もう、わたしが言うことはない。ごめんな、勝手にその裏の鬱屈したあれやこれやを読み取って。うん、ごめん。
そんでやっぱし、恋愛漫画で今更主人公に共感したりとかは、うん、ねえわ。作品自体の恋愛観には共感できることもあるけどね。それになあ、やっぱり、今までどの恋愛漫画読んでも、ひとつも現実には役になんか立たなかったよ。自分の恋愛はあくまで自分だわ。まあ、似た境遇の主人公を探し出して自分を重ねて、自己正当化することはできなくはなかったけど。そういうのも、自分の女の価値を下げるよなあと思うのでした。
結局、自分が相手を好きか嫌いか、相手に対して何ができるか、なんだぜ。それ以外は恋愛じゃないよ。恋愛としては、醜すぎるよ。自分ものさしではね。その行為自体が悪というわけじゃないけどさ。
岡崎京子作品で3傑は、
1.ヘルタースケルター
2.冷蔵庫女 (16Pだよ!!)
3.リバーズ・エッジ
ですよ。絶対。
へルタースケルターは多感な高校生時代にリアルタイムで読んでたから。
冷蔵庫女は16Pだって気づいたときに息が止まった。
リバーズエッジは、ぬるぬるパラパラととりとめないまま意外な結果に辿り着いたときのショックといったら。
とか書いてるけど、今はほんっと道満晴明一色です。かなり好き。あたしって、結局はオーソドックスが好きなんだわ。これってあたしなりの萌えじゃないかと思うんだけど、どうだろう。
「ヴォイニッチホテル」 (道満 晴明/秋田書店)
読みました。
この作家さんは、これ
見て、あーもうやってらんねえよって極めていい意味でがっくりさせられて以来、ずっと気になってて勿論ブログなんかも遡って全部読んじゃったりしてたんですけど、とうとう買って、読んだ。良かった。しかしそれでさらにあーあーあーあーって感じですけどね。勿論極めていい意味で。
意外に、好きだった。大抵、エロ作家さんてコミックス一冊買って読むと、普通に悪い意味でがっかりしちゃうんですけど。
SABEさんなんかは快楽天で知って、これ
「阿佐谷腐れ酢学園 エマニエル編」 (SABE/ワニマガジン)
(1巻の方)買って、食傷気味になって、暫く手を触れないでおいて、これ
「世界の孫」 (SABE/講談社)
読んだら、何でか全部受け入れられるようになって、エマニエル編もさべちんも今では持ってて読み返すくらいですが。
って、まあ、あんま感想らしい感想は書かないのがこのブログです。
でも、今のところ道満晴明という作家さんをわたしは好きみたいです。依然、最も気になる作家さん。多分もっともっと集めていくんだろうと思います。でも、夏コミはいかないかな・・・。
水曜日は必ずコンビニへ走ります。だって、週マガ読まないと!
今現在、どう考えてもジャンプよりマガジンのが面白いよ。かつてありえないほどつまらない時期もあったんだけど、そこから見事に這い上がった。編集長が即替えられてからだよね。確実に面白い漫画がある。絶対に、雑誌全体としてマガジンのが上。
毎週毎週次が気になる漫画が、
「AKB49~恋愛禁止条例~」 宮島 礼吏
「振り向くな君は」 安田 剛士
「エデンの檻」 山田 恵庸
「波打際のむろみさん」名島 啓二
と、4つもあるという本当に毎週楽しみにさせてくれる雑誌なのですが、それについては個々の好みや感性なので、あえて深くは語りません。
が、マガジンがジャンプ(をはじめとする多くのメジャー誌)に勝っていると思うのは、
「エア・ギア」 大暮 維人
この作品の存在。
この作品、何がすごいって、おそらく地球上で最も読んでも全く理解できないが読めてしまう漫画だということです。
画像検索してみればわかるように、絵は非常にきれい。作者さんは多分、小畑健と並ぶ(個人的にはそれ以上)くらいの超絶絵師さんだと思います。どうやったらあんな絵描けるの・・・。
だから画面はむちゃくちゃ見やすい。何のストレスもなく読める。・・・・・・でも、読み終わって、必ず「あれ?」ってなる。読んだはずなのに、何も残ってないの。何が描いてあったか、覚えてないの。それで、もう一回読んでみるわけ。「あ、ああ、ああ、うん。そうそう。こうだったね。うん。うん?」って。描いてあることをちゃんと追っていっても、最終的に何だったのかわからない。いや、違うな。一つ一つ理解していって、最終的にどうなったか(どっちが勝ったか・何故勝ったかの説明)も理解しても、それでも、結局わからない。というか、何がわからないのかすらわからない。どこが繋がってないというわけでもないが繋がってるかどうかもわからないし繋がっているということにしても結局何もわからない。あのどうしようもない感じ、他の漫画では味わえないわ。ブリーチなんか目じゃない。あれはまだ、「何言ってんのこの人?」って、つっこみどころがはっきりしてる。「何で急にこっからこうなの?」とか、「いやいやそれはおかしいだろ」とか、何がおかしいとかわからないとかがちゃんとわかる。
っていうことを、ブリーチが最終回だって言う話題からふと書こうと思い立ったので書いてみた。が、本当にわからないので全く内容のない記事になってしまった。もうな、だってほんと、びっくりするくらいわからないのよ。
「アウトレイジ」観ました。「良かった」って言ったら、ダンナに「あんな暴力映画を気に入るって珍しいな」って言われました。
確かに「クローズ」はじめヤンキー映画は、うん、何だかなあって思っちゃうけど。でもドラマのビーバップは結構好きよ。漫画だけどキューピーも好きだし。
なーんかねー。カッコつけてケンカしてるだけの映画(漫画もドラマも)ってのは好きになれないんだよねー。テッペンとるとかゆって人殴って暴れてんのがそんなカッコいいことかな? そういうの、若気の至りっていうなら、まあ、アリだよ。あーあ、あの頃の俺らバカだったなあ、とか。こいつらバカでしょ? でも、こいつらなりにね、みたいなのとか。降りかかる火の粉を払うのに、器用なやり方知らなかったんだ、とか。そうなるとちょっと愛おしくもあったり。
「アウトレイジ」は実はそうでもないんだけど。ああ、わたしは塚本高史がかなり好きだ。
長々と書いたけど、結局は俳優さん達の演技が好きなだけかもしんないです。
ちょっといいなと思ってたエロ描きさんが、実は男女もホモも百合もいける人だってわかると、わたしの中で急激に興奮の度合いが跳ね上がる。
男女のエロで知った男性作家さんがが、実はホモもいけるとか。性別関係なしに描きまくってる人とか。特に男性作家さんの場合かな。
なんて話を今するのは、最近道☆晴☆という作家さんが非常に気になるからです。って、なぜ名前を伏せてしまうんだろう。恥ずかしいからかな? でも、SABEファンだってのは公言できるのに。田@亀@源@五@郎の名前も、検索よけさえすれば平気なのに。
長瀬智也は平気でも☆☆☆☆(ついに全伏せ)は恥ずかしいみたいなもんかな。
最後の被災者面をさせてもらって言わせてもらいます。
実際、震災の日以降で一番ありがたかったのって、組織立った民間の援助でした。
うちはそこまでの惨状ではなかったので、自衛隊や警察・消防の方々のお世話になることはなくて、自治体経由の救援物資も受け取っていません。それはどちらかというとラッキーなことです。被害はあったが、軽くて済んだ。
そのレベルの被災者が今までを振り返って、本当に心の底から感謝したのは、東北電力の皆さん、そして全国のガス技術者の皆さんの働きです。何だか上から目線の言葉になってしまって申し訳ないのですが、あれが一番役に立った。ライフラインの復旧に震災の翌日・翌々日から尽力してくださった皆さん。実際に電気がついたとき、ガスが通ったときの感動は忘れられません。ガスの復旧にはひと月かかったけど、全然誰を恨むこともなかったし、遅いなんて不満も少しもなかった。本当に、有難うございましたと、ご苦労様ですと、頭の下がる思いでした。
その電気やガスの技術者さんたちって、政府の要請も命令もなしに動いてくださったんですよね。みんなで頑張ろうって、やってやろうって、立ち上がってくださった。自分の仕事だって動いてくださった。それは本当にすごいことだし、ものすごく有難かった。
そういう時、必要なことややるべきことって、大体決まってるんだと思う。でも、そうできない事情があったりする。特に、大きな組織では。
今、赤十字や政府に集まっている多額の義捐金は、まだ殆ど配分されてないんだそうですね。それに対し、不満があるわけじゃないけど、もったいないとは思ってしまいます。せっかく集まったのに。必要としている人は間違いなくいるのに。例えば福島の原発近くの小学生たちなんか、さっさと他所へ疎開なり何なりさせないといけないでしょう。どうしてこの初夏に、長袖長ズボンで毎日過ごさないといけないのか。日々生命を危険にさらさなくてはいけないのか。
仕方ないことはわかるんです。配分するにも平等性が重要で、だからこそ全容がわからなくては割合が決められない。確かにその理屈はわかる。
でも、もう少しフットワークを軽くできないものでしょうか。過去から学んで、何らかの方策を採ることはできないんでしょうか。だって、民間企業は阪神大震災のときに比べたら、はるかに動きが良くなってるでしょう。赤十字(これも民間ですが)だって、医師の派遣は早かった。それはやはり、前例から学んだからです。
義捐金も、何とかならないものか・・・。住む家を奪われた人、職を失った人、日々の物資に事欠く人、そういった人たちから回していくことはできないものか・・・。と、思わずにはいられません。せめて、今回で学習して、次回こそは迅速に的確に行われることを願います。
最後に。義捐金の配分が難しいのは仕方ないとしても、政府の対応はあまりに遅くて無駄で酷い。やるべきことなんか決まってるのに。ちゃんと既に動いてる人がいるのに。本当に、政府の対応で有難いと思ったことが今日まで何一つない。
聖帝サウザーに大勢の人民を人質にとられ、仁の星の戦士シュウは、ピラミッドの頂点へ、傷ついた体で一人、命令どおり石碑を背負い運ぶ。それを見かねたかつてのシュウの同門の戦士が、せめて包帯を巻いてやりたいとサウザーに申し出る。それに答えてサウザーは、
「よかろう!
その布切れをどうしても巻いてやりたいというのならば、
お前とお前の妻子の命と引き換えに
巻いてやるがよい!!」
って、お前それぜんぜんよかろうじゃねえ。何もよくねえ。
でも、わたしもそういう言い方する・・・。
「○○って呼んでもいい?」って聞かれて、「いいよ。返事しないけど」とか。
この間も、ダンナがおっぱい触ろうとするから、「ねこの顔きれいにしてから! きれいにしてよ」ってさせといて、「やってからとは言ったけど、やったら触っていいとはいってない」とか。
わたし、台詞なんかパクらなくても、ナチュラルにサウザーの真似できるわ。