忍者ブログ

不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

天才

前サイトのブログでも書いたかな。

中学の同級生で、通信簿を捨てて帰る子っていうのがいたんですね。
先生が授業中、急にその子に、
「お前えー加減通信簿持って来いよ!」
って言い出して、意味がわからなかったんですけど、
「あ、通信簿な。今日電話の横にあったわ。忘れた」
って返事してて、でも、その子の近所の子が、
「うそつけ! お前の通信簿田んぼに捨ててあったん見たぞー!」
って横から口挟んで、どうやらそれがほんとのとこらしいんですね。
「お前そうやっていっつも持ってこんから、おれ毎回通信簿新しくつくっとるんやぞ!」
って、先生はさすがに困ってたみたいでした。

わたしはそのとき初めて、「通信簿を親に見せたくないから捨てて帰る」なんて選択肢があることを知ったんですけど、みなさんはどうですか。知ってましたか。今これを読んで初めて知った人もいるんじゃないでしょうか。
しかも通信簿って、再発行されるんですね。回収できなかったら再発行するんですね・・・。それも知らなかったんですけど皆さんは(以下略)。

思い出すたび彼を天才だと思う。
他にも、
「おれは幽霊は信じるけどUFOは信じひん。見たことないから」
とのたまう先生に、
「先生おれのおかん見たことないくせにおるって信じとるやんけ!」
って即返したこともありました。
確かにそうなんだ理屈はそうなんだでもそんなこと一瞬で気づかないよ!

風のうわさでバイク事故で死んだって聞いたんだけど、ほんとだったら惜しいなあ。

PR

20th

ケンヂ(20世紀少年)の歌(コロッケの)って、ほんとにロックなの? 映画見てないけど、原作で見る限り、どっちかっていうとフォーク・・・そうでなければポップスって感じなんだけどな・・・。

わたしは連載を本誌で(立ち)読んでたクチですが、最初のスピード感はすごかったなー。
いつもちょっと先を描いてくれるのね。こっちは必死で追いかけてくしかない。
しかも現実と微妙にリンクしてるんだよね。締め切り考えたら知って描いたわけがないと思うんだけど、狂牛病とかリンクしててすげーって盛り上がりまくってた。
あのスピード感と時代性で最後まで突っ走ってくれたらよかったのに。
「俺たちの20世紀はまだ終わっちゃいねえぜ」って感覚は、なんかすごくわかるって思った。
ミレニアムだ2000年だって言ってるけど、大騒ぎした大予言もあっさりスルーだったり、何だか色々やり残したことがあるっていうか、時代が変わったって実感がないっていうか、そういう感じ。結局何も変わってない自分たち。そしてただの昨日の続きでしかないこの世の中。
そういう中で始まった連載でした。(わたし的には)

いつだって今だって、カッコいいのはロックとバイクだぜ。みたいな。
連載の最初のうち(血の大みそかまで)は、「ああ、そうだよね! カッコいいものはいつまで経ってもカッコいいよね!!」って共感できたんだけど、あんな長い連載をそれだけの価値観で引きずってかれてもなあ。
なんつーか、連載長すぎて(休載も多すぎて)、その間に完全に時代が変わって乗り遅れたとしか。時代を描く漫画には、連載の長期化って劣化そのものかも。
ここで『代紋TAKE2』を思い出せる人がいてくれれば、わたしの言わんとするところは伝わりやすいかと思います。あれ、世にも奇妙な的オチなんだよな・・・。連載開始時の感覚では斬新なオチだったとは思うんだけど、21世紀にあれはないよ。さむいさむすぎる。

で、20世紀少年もあれだけやって結局あのオチなんだもんなあ・・・。
わか(ってると勝手に思って)るけど。20世紀に俺たちがやり残したこと。俺たちがちゃんと終わらせないといけないこと。なんでしょ。テーマはわかるが、あれだけ長い連載の終わりとしてあれはどうなんだろう。
ほんとに、最初のスピード感であそこに落ち着いてくれるなら、それで満足できたような気がするけどなあ。

こないだ『エリートヤンキー三郎』で2ヶ月ほどでやった内容に、巨匠が徒に何年もかけたように思えてならない・・・。
ちょうど20世紀少年の映画完結編公開と時期が重なってたのは、下から目線の皮肉なのかなあとか勝手に勘繰ってます。

ていうか大抵の人が、途中でめんどくさくなったり飽きたりわけわかんなくなったりしたよね? わたしもまさにそれ。で、最終回見て、自分の脳内で勝手に辻褄合わせた。
総括としては、確かに大作だけど超大作超大作超大作超大作言うほどの超大作ではないので、言わないほうがよかったのでは、という感じですかね。でも、それだけ言ったお陰で映画の動員数が伸びたのなら興行的にはいいのか。


※ 主人公の学校の生徒(不良たち)が次々と襲撃されて、最後の最後に現れた黒幕が、「誰????」っていう誰一人覚えてない奴だった話。結局主人公への逆恨みが動機だったらしい。これ、すっげー20世紀少年とかぶるんだけど。

本を読むひと

「鏡に映る像は左右対称」と思ってしまうのはなぜか。
「だってどう見ても左右対称やもん」て、大抵の人は返してくるんだけど、「どう見ても」なんてことは絶対無い。その認識だけはおかしい。「左右対称と言えなくはない」とか、「左右対称って言い方が伝わりやすい」なら同意するけど。
「左右対称」っていうのはあくまでひとつの画像についていうもので対象の軸がどうのとか、それはもちろんそうなんですが、わたしが異議を唱えてるのはそこではなくて。「左右」の部分なんです。

まあ、いいんだ。中学のとき気づいてからずっと、誰に言っても今の今まで、一度たりとも同意どころか理解もされたことないし。
あまつさえ頭おかしい扱いまでされたこともある(うちの家族、否定の語調が超強いから)。
他にも、「走ってる人の後ろには、その走ってる方向に風が吹いてる(空気の移動がある)」についても、「カーナビは衛星とやり取りして現在地から目的地までをナビしてる」についても、そんなことあるわけがないと全否定された。うちの家族は何で、あんなに他人を否定するとききつい言い方するんだろう。
うちの父なんか、自分の意見と辞典や文献の内容が違ったとき、「辞典が間違ってる」と何の疑いもなく主張する人でした。わたしもあんまり人のこと言えないけどね。

話が逸れましたが、「鏡に映る像は左右方向に対称というわけではない」という意見を、周りの誰にも理解されずにいたわたしは、しかしあるとき、赤本の国語の問題で同志と出会うのでした。
認知心理学だったか何だかの学者さんの文章で、そのことについて語ったものがあったんですね。
初めて同じ考え(もちろんわたしよりはるかにきれいな結論をつけてらしたけれども)の人を見つけたときのあの喜びは筆舌尽くしがたいものでした。いやまじで。
別に学者が唱えてるからって、必ずしも正しいとは限らないんだけど、それでも、ちゃんと考え抜いたら同じ考えに至る人がいるということが嬉しかった。

そういう風に、近しい人間に同意や理解をされない人間が、本を読むのではないかと思います。
近しい人間とだけでは心が満たされないとき、孤独を感じるとき、遠くの誰かに手を伸ばす。

だからといってそんなものを描きたいわけでもなんでもないんですけどね。
孤独を感じないならそれにこしたことないし。いいじゃないか周りの誰かがわかってくれるなら。
それに本を読んで勝手に理解されたとか同じだとか思ってるだけってのも問題だしな。好き勝手思い込んでるだけの可能性もあるし。

結局何が言いたいかっていうと、本ばっかし読んでたらダメってことです。
最近、ある人のブログを見て心底そう思った。

秋なので

サブカルって、「男らしく女らしくより、自分らしく」って世界だなと思う。
多分、草食男子とかってこれと層がかぶるんだろうな。男とは到底思えないような男ばっかりが出てきて許し合うだけのBLも、サブカルの範疇だもんね。
そういう嗜好や考え方に対し、「でも、それぞれ男だよね? もしくは女だよね?」と、つっこみたくて仕方ない。
「いや、男だけど、女だけどさ・・・」って言うんだろうけど、そこを、「男である、もしくは女である。その上で」と、現状を受け入れた上で「自分らしさ」とやらを立ち上げるわけにはいかないの? 結局、現状を否定してもどこにも進めないでしょ?
それはただの逃げだよ。後退だよ。
と、まあ言ってみりゃ、わたしはサブカル的な精神性が嫌いなんですね。軟弱で。
そんなわたしに非常に快い漫画が、

「スター・レッド」/萩尾望都
これです。
思えば、「マージナル」も多分似たテーマですよね。性を肯定しつつ性にとらわれない強さ。前を向いて一歩一歩踏み出す強さ。
硬派な少女漫画だと思う。ていうか、多分昔の少女漫画ってそれほど軟弱ではなかった。運命や性や世の中と戦うものが今ほど少なくなかった。
わたしは萩尾望都の、全てに対して容赦ないところが好きです。主人公だからって生き残ったりしないんですよね。自己ばっかりを押し通すんじゃない強さ。
これとジョジョ6部のラストは通じるものがあるような気がします。どっちもわたしにとって非常に納得いく結論。


「究極のラーメン」的な言葉を聞くたび、イラッとします。
そばやうどんならわかるんだけど、あれだけ何でもアリの発展を遂げたラーメンで、何が一体究極なんだよ。単純に、「うまいラーメン」じゃダメなの?
みたいな、ラーメン文化に乗り切れないわたしがお薦めするラーメン漫画が、

「ラーメン才遊記」/久部緑郎
です。
すみません・・・画像は実は違います。作者の前作の「ラーメン発見伝」です。
「才遊記」は連載第3回くらいで、まだコミックス出てないんです。
前作から引き続いて出てくる悪役(?)の人が「究極のラーメン」を主張する人なんだけど、それに対し「おいしければいいんじゃない?」って真っ向から否定でかかる天然の主人公が好きです。
無駄を排除した薄味のラーメンに自作の具をのせて、「ラーメンとしては絶対私のほうがおいしいです」なんて言う、無邪気であるからこそ周りをイラッとさせるキャラクターが秀逸。
もうさあ、ラーメンに究極っていうのやめようよ。いいじゃないおいしければ。あんなに自由な文化の頂点を極めるなんてのはとんでもなく滑稽ですよ。


もいっこお薦めがあった気がするんですが、忘れたので今回はこの2作。
思い出したら追記するかも。

あ、これけっこうすごくね????
http://natalie.mu/comic/news/show/id/20885

自角(角は間違いじゃないよ)

わたしってもしかしてすげー心汚くね?と最近思ったのは、
ある人がある人を褒めちぎってるのを見たときと、
テレビ番組で余ったそうめんでトンカツ作ると言い出したのを見て、
「どーせそうめん衣にするんやろ。こういう番組の人は炭水化物を衣に流用したらみんな驚くと思てんねん。江角マキコもよーこんなんで驚くわ」と、
我ながら捻じ曲がって炙って煮詰めたのかと思うくらいのコメントをしてしまったときです。
でも今日、ジャングル大帝ちらっと映ったとき、「いっこいっこにイラッとする」と言ったら、ダンナが「動きが大げさやんな。うざい」と珍しく同意してくれたので、ちょっとほっとしました。
そうなんだよ。最近のアニメって、いちいち過剰なんだよ。特に手塚息子が関わってる(多分)やつは。

深夜番組でタカandトシのタカが女物のセクシー水着着てて、
「どうせならダイノジのおおち(エアギターの人)がやってくれればいいのに」と本気で思って呟いて、ダンナに超ひかれました。
でも本気なんです。本気で思ったんです。おおちがやってくれたら、見てて快感に違いないと思ったんです。
この並びで書くとあれですが、楽天のマー君が好きです。野球には全く興味ないけど、彼ほど真剣に戦ってくれると、見てて熱くなれます。感動します。あの全然イケメンじゃないとこも素敵です。安心します。
もしかしてわたしって、一時ある人にものすごく指摘されてたけど、ほんとにブサイク好きなのかもしれない。
ほんこんさんも千原せいじも好きですけど別に顔が好きなわけじゃないと思ってたんですけどもしかして顔も好きかもしれない。
理想の兄像はU-turnの土田です。つっちーです。あんなお兄ちゃんほしい。女だけの兄弟で育ったので、兄という存在に対して異常なほどに憧れを抱いてます。
でも顔が好きなんじゃないと思ってたけどでもでもでも正直ああいう顔見るとほっとする。心安らぐ。
イケメンばっかりのCM(なんかワックスみたいなのの)見てると、気を失いそうになる。そんな現実を受け入れられない。イケメンばっかりが並んでいる現象を現実として受け止められない。嬉しいと思わないわけでは決してないんだけど・・・!

でも例えば道でも、条里制みたいなまっすぐと直角の道より、変に曲がってるほうが好きなんですよね。
だって、どう考えてもまっすぐ引けるなら引けばいいのに、そうしなかった、もしくはできなかったってことは、そこに何らかの理由があるわけじゃないですか。人間の判断があるわけじゃないですか。そういうのを想像してぞくぞくしますね。
逆に、山を抜けても川を越えてもそれでもまっすぐ引いた道にも言い知れない美しさを感じ、感動しますけど。

秋葉原中相撲大会というのもひとりでこっそり望んでいます。
やってくれないかな。
秋葉原に行ったことがないので、あくまで勝手なイメージなのですが、オタクの街なんですよね?
レアアイテム争奪の相撲大会とかやってくれないだろうか。すげえ見たい。男女混合だとなお良し。
何かを欲して全力で真剣に戦うところが見たい。ああ見たい!
そのために相撲部屋に弟子入りするオタクとか増えればいいよ。何気に角界の発展を祈っているわたし。
どうでもいいけど、前にわたしが「相撲界」と言ったのを「角界」と言い直されたとき、実はわたし悔しかった。ガッデム!と思った。角界に関してはわたしの方が上なのに・・・! 角界じゃ伝わらないかもと思ってあえて相撲界って言ったんだからね!

でも今晩は相撲のことは忘れてそろそろ寝よう・・・。

チョーパン愛

頭突きブームであったと思う。
2年ほど前から、この世は頭突きブームだった。
はず!!!
漫画やアニメやドラマや映画で、何かと喧嘩のシーンで頭突き頭突き頭突き頭突き頭突き。
そろそろ下火になってきたっていうかいい加減飽きたと、思ってる人は思っている。ていうかわたしは思ってる。おそらく朝基まさし先生もわかってらっしゃる。
はず!! だから先週のコジローは飛び蹴りからだったんだよね? わたしはわかってるよ!!
とにかく頭突き頭突き頭突き頭突き頭突き! お前らえー加減にせーよ!! 価値落ちるっちゅーねん! このにわかどもが!
任侠ヘルパーの主人公も今更特技は頭突きですはねーよ。

わたしなんか、リョーチンのチョーパン見たときからずっと頭突きブームですよ。すんげーときめいたよ。あれ以降頭突きキャラには惚れてしまいがちだよ!
でも、ぬるいのはだめだよ! 結構質を求めるよ!

そんなわたしは最近のブームには辟易していたよ。

2年位前はわたしの中でもリョーチン以来の超絶頭突きブームきてて、総悟にいろんな角度のアレンジを加え頭突きさせまくってた。けど、いい加減にわかどもが使いすぎだよね。お前ら頭突きへの愛がねーよ!
あのさー、頭突きはあくまで「カマす」もんなの! 頭ぶつけりゃいーってもんじゃないの! キレが命なの!
ほんとにわかどもはわかってねーよ。
「チョーパンカマす」って慣用句なんだよ。「頭突きする」なんてもーお前ら何もわかってねー!!

わたし選ぶのベストチョーパンは、シバトラの回想シーンのコジローです。さすが絵がお上手だわ! あれは超かっけーわ!
次点は紅桜編のアニメの神楽。いやー、やっぱちっちゃい子のチョーパンはいいね。なめんなよ!って負けん気がいいね。あれは醍醐味ですね。


関係ないけど、「変わると思うよ」程度の認識で民主党に入れた大人はバカだと思うよ。
変わればいいのか? 方向とか関係なく今とは違うものになればいいのか? 「良く」じゃなくても?
「民主党なら今より良くなる」と思って入れたならいいと思うけどね。
個人的には麻生さんの景気対策が近年稀に見る的確さだったし、舛添大臣が非常に有能な大臣だったので、麻生政権はもう少し続いてほしかった。
多分元から詳しかったわけではなかろう分野の大臣としても、ひとつひとつ早急に対策を講じて、会見でもはっきり説明する舛添さんを見て、「ああ、頭がいいっていうのはこういうことなんだ」と感動すらしました。
知ってるかどうかじゃなく、ちゃんと次々知って使えるんだね。ああいう人ってすごい。有能ってああいうことなんだ。

ゆう

統合失調症というものを、この間初めて詳しく知りました。
こちら http://yucl.net/man/56.html (←読みやすい漫画!)で。

この定義でいくと、当時もし統合失調症という言葉があったなら、ガリレオやニュートンもそう呼ばれてたんじゃないのかな。
思考や言論の意味が通るとか論理的だとかというのは、その時代その場所の常識で判断されるものだからね。
まだ知られていない新しい概念を提唱した人は、統合失調症扱いされる可能性が高いですよね。

上で挙げたサイトにおける基本の考え方でもあるんですが、「誰も困っていないなら病気(精神病)ではない」という理屈と統合失調症の定義から考えて、精神病というのは、個人の問題でなく、社会の問題なんだなと思いました。個人の健康に対する不具合でなく、社会における不具合。
本人が苦しいとか死ぬ可能性があるということより、社会で受け入れられるかどうかが問題なんですよね。多分。
極端に言うと、「こいつうぜえ」とか「キモッ」って思う人がいなければ、犯罪に手を染めでもしない限り病気じゃないんだろうな。

まあ、当たり前のことなんですけど。

女は本

なのかなと考えたことがあった。

「体が目当てなんだ。あたしのことほんとは好きじゃないんだ」
って、どういう言い種だよって、思ったんですね。
「ほんとに」「好き」って何だよ。好きなもんは好きなのでは。体が好きだとダメなの? 「ほんと」じゃないの? 体もあなたの「ほんと」の要素でしょ?

ここで言う「ほんと」に「好き」っていうのは、内面を好きになるってことなんだと思うのね。
それがほんとの好きで、その他はそうでない好きだって、分けてるわけだよね。

例えば、「本を好き」っていったら、「本を読むのが好き」ってことじゃないですか。破くのが好きとか枕にするのが好きとかは、「本を好き」とは言わないでしょ。
そういう、正しい楽しみ方があるってことなんだよね。

そういう理屈で、女というのは体ではなく(顔でもなく?)、内面を楽しむもの。という意味なんだろうな。
でもそれでいて、髪形変えたのに気づかなかったら怒ったりするとしたら、完全にルール違反ですよね。ああめんどくせえ。
更に言うと、体目当てだとほんとに好きとは認めないくせに、全く体に興味示さないとそれはそれで不満だったりするじゃない。ああめんどくせえ。
早々に自分の女としての価値を巨乳だけだと悟ったわたしにしてみたら、本気でめんどくせえ。

多分女の言い分て、「内面を好きになった上で体を求めて」ということなんでしょうね。それが一番正しい女の楽しみ方なんでしょうね。超めんどくさいけど。
まさか今のご時世、そこまで要求する人はいないと思うけど。(いたりして)
個人的な考えとしては、そうやって楽しんでほしいならそうやって楽しみたくなるような女になれよと。それなら本当に素敵だと思うんですよね。

でも、貞操を守るに越したことはないとは思います。大事なときまでとっとくのはいいことだ(多分)。
と言いつつ、個人的な好みとしては、さっさと捨てちゃって後悔しちゃうような女の子(若者)ってたまらなくかわいいなあと思うんですけども。
勢いも若者の特権だしね。儚さはそれはそれで美しいよ。後悔してその時本当の大切さを知るっていうのも非常に深いことです。いいよいいよー。そういう子かわいいよ。
かわいいって守りたいって気持ちですからね。わたしはそういう子のフォローならしてあげたいなあ。かわいがって立ち直らせてあげたい。どこかにそんな少女は落ちていないものか。

女やってると、女嫌いな部分てどうしても出てきますよね。受動的に女やってると特に。それって大部分は妬みだろうな。
能動的になると、女好きな部分もどんどん膨らんできますよね。能動的だと楽しめるからだろうな。他の女の子と同志になれる。

こんなこと書いてどうすんだと思うようなことをまた書いてみた。
ふとこういうことに言及したくなるんです。誰もはっきりは言わないから。

元気です

↑ このタイトルから、今立さんを想起してくれる人がいたら歓喜する。マイティーやついでも妥協しよう。
今立さん好きなんです。あの人あんなつっこみ上手いのに、何で消えたの。これがさげまん性か。わたしが応援すると、大概のものはテレビから消えます。東原亜希にはかなわないけど。

前の日記が体調悪そうだったせいで心配されてるかもしれないので、ちょっと書いてみます。元気ですよ。


青☆春アミ☆ーゴという歌がかっこよくて好きだったんですが、さっき24時間テレビで歌ってるの見てあまりのチープさ(悪い意味で)にがっくりした。
CDTVとかでPVで見てる限りではかっこよかったのに・・・生歌だと・・・。そういうもんか・・・。

山☆下☆智☆久や松☆潤がドラマに出ると、ど―――しても嘘臭く見えてしまうのが何でかなーと思ってたんだけど、やっとわかった。
あいつらの髪型だ。
「おれ、真剣ですから」みたいな演技されても、「お前が一番真剣なのはその髪形だろ!」と思っちゃうのね。他のジャニーズの若手も結構そうなんだけど。
大変なシーンでも、ちゃんと髪型セットしてあってさ・・・。余裕あるやん、て思っちゃう。カッコよく見せるために現れたな!このイケメン星人が!みたいな。
タッキーはわたしの中で、そう感じないギリギリラインです。演技が上手いせいかな? 最初見たときは顔が嫌いだったんですが、何回か見るうちにそんなこと全然気にならないどころか夢中でドラマ追ってました。山田孝之もそうだったな。

いっそ髪型命(←すでに決めつけ)の若手たちは、そういうキャラやればいいんじゃないかな。「大変だけど、髪型くらいはセットしねーと人に会えねーよ」みたいな。
と思ってるのがわたしだけじゃないかということは、うすうす感じている。

メモ

萩尾望都が同年代の漫画家ではダントツ。
20世紀少年はやっぱり20世紀。
ドラゴンボールは見事に、大人が子供に向けて作った作品だなあ。
↑ということについて書こうと思ったんだけど、頭痛いからまた今度。風邪が・・・治ったと思わせて何度もぶり返す。

忍者ブログ [PR]