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不埒

まっすぐ立ってフラフラ歩きたい

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即!

下の記事を書いた昨日の今日ですが、早くも買った! 電子書籍を! しかも、BL!!
オリジナルBL買うなんて、それこそ中学の時の高河ゆんか尾崎南ぶり…。いや、茶屋町勝呂さん以来? あ、何年か前に同棲愛の新装版買ったか。田亀源五郎も一応BL? しかし今回は、萌え&共感系!! ふおおおおおおおいい!!

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コミックサーフィン

最近あちこちでレンタルコミックのバナーをクリックして無料立ち読みしています。普段自発的には読まないジャンルを軽く味わえるので。1ページ目でうんざりどころかオエッとなってもとりあえず立ち読み分は読み切ります。タダだしな。
「神様はじめました」は食わず嫌いしてたけどちょっと読んでみたら面白かった。全部レンタルしてみるのもいいかも。

んで、今日も

〔画像多し〕

お茶の間にお届けできないのが残念です

最近私は誰にも役立ててもらえない新しい(私の中で)技術を身につけた。それは、iTunesに取り込んだ音楽に画像をつけられることだ。ほら、役に立たないでしょ。
しかし、気づいて使えるようになったことに感動しているので、何とか誰かに伝えたい。教えたい。のだが、誰もその技術を必要としてくれない。それが寂しい。
どうやら私は、情報をうまくまとめて誰かに伝えるのが大好きらしい。趣味らしい。考えてみれば、漫画を描くのも勉強を教えるのもそうだもんな。あと、旦那に見逃した回の相棒の内容を教えてあげるとか。
それにしても、最近の公立中高一貫校受験の問題が恐ろしく難しくて恐ろしいです。
恐ろしく難しい試験で選抜されて更に、最終的にはくじで決まったりするというのがまたまた恐ろしいです。
そのシステムで、一体自治体の教育関係者たちは子供たちに何を伝えたいのだ? 努力は当然として、その結果を出して、それでもなお運は必要ということか? ナニソレ・・・。

しかしこのご時世に、自分のことを「男らしい」ってあっちこっちで言っちゃう女の人って、一体どういうつもりなのでしょうか。いや、言いませんけど。何も。つっこみませんけど。だって本当に男らしいのかもしれないし、その人。
ただ思うことは、世間で「自分を男らしいっていう女は大抵マジ女」と陰口叩かれてることは知らないんだろうか? ネットとか見ないのかな。だから言うのかな。それとも、ネットで他人をどうこう言うやつなんか無視ってスタンスなのか。後者ならば確かに男らしいかも知れぬ。
ところで女々しさって女のと男のとありますよね。そしてどっちも持ってる人っていますよね。他人に執着する女の女々しさと、自分を捨てられない男の女々しさ。だから何だってわけではないんですけど。最近そういうことを考えるきっかけがたくさんある。

寒くなってきた in TOHOKU

加藤あいのブルガリアヨーグルトのCMかわいい。相変わらずの17歳顔。

ところで私は勝手ながら、二次創作をやっていて
・固定カプで活動していてエロも描くのにその2人の「初めて」を描かない
・エロシーンはプレイ内容だけで感情と感覚(特に後者)の描写が超うっすい
人は処女だと認定させていただいております。悪しからず。

最近の朝食はスープです。

米軍が日本に駐留してて助けてもらえることもどうやらちゃんとあるけど、二次的な痛ましい被害もたくさんあるわけで、駐留の是非については地元の皆さんの意見を尊重したいところですね。
しかし、アメリカとしては日本に軍隊を駐留させること自体に政治的・外交的なメリットがあるわけで、例えば今の日本と中韓との問題なんか、根本的に解決してくれることは決してないだろう。解決できるできないの問題でなく、駐留軍が用済みになると不利益だから。
こないだ米軍は日本をレイプしてるのと同じだから女のアタシは許さないよ!と息巻いてらした田嶋センセイ。この人に政治を任せるのは勘弁だけど、こういう人もいないとな、と思う。

新欲求

「理解されたい」なんていうのは、女とオタクに特有の欲求なんじゃないか。言語中枢が発達して初めて生まれる欲求に違いない。なぜならそれは、言語を介してしか為し得ないレベルの「理解」を指しているのだろうから。
おそらく言語の発達以前にあったのは、せいぜい「愛されたい」であった筈だ。そしてそれよりもっと原始的には、「ヤリたい」。それが身も蓋もなさすぎるというなら、「受容されたい」。

〔本論〕

投影

何となく何だけど、私のことを怖いとか、怒りづらいとか意見しづらいとか、そういう風に思う人って、「バカだと思われたくない」人じゃないかと思う。そういう人って必ずといっていいほど、私のことを頭いいって言うんだよね。それも、そういう気持ちの裏返しかなと。私っていかにも、他人のことバカだと思ってそうだもんな。些細なことでそう判断しそう。わかるよ。口を閉じて、たまに相手の目をまっすぐ見て目を逸らし、ふーんて感じで話し聞いてると、何となくそういう雰囲気を醸し出す。
前に国語の問題文で、「嫌いというのは自己投影である」ということが書いてあって、なるほどと思った。
相手を嫌うことは自己投影に起因する。自分が表に出さないでいる影の部分、その影を他人に見たとき、人間はその相手を嫌う。「男に媚びてばっかり!」なんて同級生に腹を立てる女は、自分自身の媚びたい気持ちをプライドなり美学なりで抑えているか、媚びても上手くいかないことばかりか、まあ、おそらく概ねそのようなものだということ。「自己投影」とはあくまで投「影」であって、自分そのものではなく自分の影を他人に見ることなのだ。そしてそれによって、人は他人を嫌うのだ。
国語の問題文は結構ためになるなあ。
しかし小学6年生に、「言語の存在の第一義は概念化にある」なんて文章を読み解かせるのはどうかと思う。どうかと思うぞ!

ジャンル分け

引き続きバガボンドを見ています。14巻からまた面白くなってきた。バガボンドって、時代劇だと思って読んだらダメだ。あれは、井上雄彦の漫画。井上雄彦の作品。ただそれだけ。そういうジャンル。
ジョジョのアニメも、あれはアニメではなく、「ジョジョ」です。そういう文化。ああ、確かにジョジョってそうだ。再現性がすごい。声優さんの台詞の抑揚もイメージどおり。「何をする(ん)だーっ」が、確かに「何をする(ん)だーっ」だった。この21世紀日本作のアニメだと思うとあまりに絵がひどいのですが、確かに、ああ、ジョジョ1部はそうだった。そのものだ。

ところで私はよしながふみが嫌いだけど、BL(二次創作含む女性向けホモ)好きで且つよしながふみを理解しない人間て下らないとも思う。語るに落ちるというか。

相棒は結局、新相棒に愛着もてるまでは伊丹さんとか米沢さん出しとけば外れはないんだ。でしょ? あと、内村刑事部長。あの何ひとついいことをしないとこがたまらなく好きです。ダンナも好きらしい。伊丹さんの次に。
しかしあの(刑事部長の)俳優さん、かつてはアクション俳優だったんですってね! 松田優作とかと刑事ドラマで暴れまくってたとか。芸名かっこいいもんな。片桐竜次って。しかしですね、そんな過去を知っちゃうと、もしかして今後相棒でもアクション見せてくれたりしたら、人気がうなぎのぼりなんじゃないのか! そんな展開もあったりしちゃうのか!とか、変に期待しちゃったりしますね。

他には、理由(宮部みゆき)見た。淡々とした演出なのに引き込まれた。気になって最後まで退屈せずに見てしまった。
重力ピエロも見た。小日向文世さんの役が素敵だった。かつ、加瀬亮と岡田将生は男前でした。話は、まあ。
半落ちは、今見てるけど、伊原さんと柴田恭兵がひたすらかっこいいだけで今のところあんまり面白くない。

アンチなので、まあ手を変え品を変え批判しかしないといわれればそのとおりですが、そう、ワ☆ンピ☆ース。
たとえばドラゴンボールって、大人になってから見たら感じ方が変わるっていうじゃないですか。確かにそうだと思う。だって、ちゃんと大人が大人の目線で世界を理解して描いてる(多分ね)から。
それがいいかどうかは個人の価値観ですが、私はそういう作品のほうが深いと思ってて、やっぱりすごいなと感動しちゃうわけです。そういう描き方に。ドラゴンボールに限らず、結構昔の漫画ってそうなんですよね。子供が理解できる内容だけで構成されていない。だから、大人になってから読み返すと新しい発見や感動がある。そしてわたしはそういう作品に価値を感じる。
じゃあ、今の人気漫画ってどうだろうか。っていうと、そうじゃないんじゃないだろうか。という話。読んでるときはそれなりに楽しめても何も残らないのは、私がいい年だからということと、大人らしい大人が存在しない世界の話であることのせいだと思う。大人になり方がまず描かれていない。子供に対する大人の役目、大人のかっこよさ、責任・義務、など。終わらない夏休みみたいな漫画ばっかりなんだよなあ。
そういえば私は途中までNARUTO大好きだったんですが、元々ハマッたのって、自来也がナルトに修行つけてるとこからなんですよね。あの大人像がかっこよすぎて理想で、1巻から読んでみたら大人たちがちゃんと大人! なのに今ではその大人たちが、自分しか見えてない子供たちに世界とかそういう大きなものを早くも託そうとしてるから・・・。エエエエエエエ・・・みたいな。すっごい脱力。
今の時代、子供の世界でしか通用しない生き方しか描かれてない漫画が多すぎる気がする。自己実現しか考えずに社会に出てしまっていいのか。いや、だから社会に出ずに済まそうとしてるのか。それとも社会では否応なくあれもこれも考えざるを得ない状況だからこそ漫画では煩わしさから開放されたいのか? ある意味癒し目的?
そういう内容に不満があるなら青年漫画でも読めばいいんだろうけど、恐ろしいことに今の時代、少年向け以外でもそうなんだよな・・・。とにかく甘い。子供やオタクや落伍者に。大多数の弱者に。
私は、強者の理屈で世界は回っているけど弱者だって否定されても生きてる、みたいな作品が好きです。弱者はさ、肯定されちゃ駄目なのよ。否定されても生きるってくらいじゃないと。と、思うのですが、どうやら今では世の中はそうではないようですね。

愛なんて嘘

マクロス。見たけど。
なんの哲学もない人間の作ったアニメだな。多分テーマは愛ってことにしてるつもりなんだろうけど、あんなん愛じゃないだろ。そんな崇高なものではなく、月九や大学生サークルに溢れてるような卑近な色恋沙汰やんけ! イッチャイッチャグッチャグッチャしやがって!
とりあえず、オタク学生だって彼女が欲しい!ってとこまで理解した。ヤマトとかガンダムとかカッケー!だけどアイドルや同じクラスのかわいいあの子とつきあいてえ!って、ただの欲望垂れ流しやんけ。
しかし最後あの歌でなんとなく世界が愛によって救われたような気にされてしまうので、すごいもんですな。あの歌はすごい。売れたものにはやっぱ理由があるのねー。

漂流の理由

引き続き、バガボンドを読んでいます。現在、13巻まで。
これって、自分探しの話ですよね。みんな自分を探してる。自分という存在の根拠を。それはすなわち、父親探しでもある。
という話ですよね。まとめると。
そういう人生観自体は、普遍的なテーマになり得るし、好きです。
が、そうなるとヴィンランドサガと比べてしまいますね。すると、ヴィンランドサガの方がそのテーマに対するアプローチが多角的で、論に説得力のあるエンターテインメントとして成り立っている。
最後のマンガ展を見たとき、井上雄彦の漫画は川のようだと思った。自然な流れをそのまま描いている。生まれたときに決まっている死ぬまでのひととおりの人生を。運命論とは違うんだけど、落とした石がそこからどのように転がってどこで止まるのかというのと同じく、この世に何らかのエネルギーを持って生れ落ちた瞬間から、その地点から、その後どちらへどう進みどこまでいけるのかは決まっている。その、もっとも自然な形。それをただ描いている。
であれば、その物語は最終地点までの道のりはひとつであり、もし複数の道を描くのであればそれは、それぞれの道でしかない。それぞれが求めるもの、目指すもの、旅立つ地点が違うがゆえに生じるいくつもの道すじ。そのそれぞれを描くのであって、一つの何かに向かってそれぞれの価値観で何通りもの答えを出すものではない。

つまりどういうことかというと、ちょっと飽きた。道はひとつだからこそ道なのでは。

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