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バックトゥザフューチャーは吹き替えの方がいい気がする。こだわりではない。内容は大体知ってるので、流し見たいから。あのおじいさんの元気さとか楽しみたいので見る。これ見ると、鳥山明と大友克洋を思う。2人ともこの映画好きそうだ。
自分のちんこのちんこ印刷屋はじめるとするじゃん? http://hijikisokuhou.doorblog.jp/archives/7129992.html
頭おかしい系。疾走感あり。
正直イケメンぼっちと仲良くなってイチャイチャしたいよな? http://moneykogane.blog.fc2.com/blog-entry-1566.html
そういうの、もっと出してこうぜ。
腐女子が集る男キャラクターの法則 http://vipsister23.com/lite/archives/6593327.html
生まれた時から普通に二次ホモに触れてた女オタクが多いので、一般的な女の願望に偏るのでは。「特徴」なら、生理男。
喪女達が「もてなすぎて頭おかしくなったな」と思った瞬間!! http://www.matacoco.com/archives/67893914.html
あれっ、ところどころ共感できるようになってるぞ!
待ってたよ(?)。まあちょっと聞けよ。
ヴィンランドサガ1巻から読んでたんだけどさ、ちっさい頃のトルフィンさ、歯が一本欠けてんのよ。でさ、戦士として活躍してる頃はさ、当然だけどもう生えてるわけ。つまり、アシェラッドは、その過程を見たわけよ! 何かそれだけでゆうべ一人激しく萌えて、ギャーー!!となってたんだけどさ。
アシェラッドは、トルフィンのことずっと見てきたわけで、その成長過程を全部知ってるわけですよね! あのガキの成長は、あのジジイのおかげなわけですよ100%!
船に乗るなら仕事しろとかって言ったよね。そんでガキがムキになってやるようなちょっとキツイくらいの力仕事とか課すよね。その後、食うのも仕事だとか言って食わすよね。それでもいうこときかなかったら、決闘をエサに食わせるよね。もちろん相手にならないよね。でもボロボロになっても気絶するまでやめないよね。気絶したらこっちのもんだよね。邪魔だとか言ってちゃっかり船室の隅っことかに寝かせるよね。
で、翌日、また決闘って言ってくるよね。でも十年早いとかって断って、何か特訓的なことやらせるよね。高いとこに提げた的落とすまで受けてやらんとかそういうの。
そしたら特訓するよね。それをずっと見てるよね。正に成長を目の当たりにするよね。そして2日後くらいに課題をクリアしてまた決闘ってときに、ものすごく成長はしてるんだけど、もちろんまだ全然相手にならないわけ。でも、トルフィンはそれでもアシェラッドの想定を一歩だけ超える技を見せるのよ。何でかって、トルフィンだってずっとアシェラッドを見てきたからだよ! 戦線でのアシェラッドを見て、そこから吸収してるわけよ。
それでもやっぱり負けてしまって、でも今度は気絶はしなくて、夜拗ねて、船尾でひとり見張り番するよね。そこで、亡きトールズさんと語り合うよね。で、それをアシェラッドも実は見てるわけ。トールズさんが見えてるわけ。その見えたっていうのは、トルフィンの可能性というか、器というか、進む道というか、自分の与えたものとは関係ない伸びしろみたいなものなの。トルフィンはアシェラッドを超えた向こうに亡き父を求めて、超えれば父に会えると潜在意識的に信じてるって、アシェラッドははっきりそこで悟るわけ。
それでですね、的落とす課題があったわけじゃないですか。その的がアシェラッドで、その向こうの大空がトールズさんなんですよ!
そこで、アシェラッドの生き方は、少し変化するよね。地べたで手を汚すこともしつつ、必ず高いとこに立って的にならないといけないんだから。それによって彼は、少しは胸を張って生きていけるようになったんじゃないか? トールズを見上げるくらいの角度で。
どうだ、これが
萌 え 三 角 関 係
だよ!! 誰もが誰かに片想いだぜ!?
って、もうメール1時間打ってるぜ?
歯一本からどんだけ広がるんだよって話だよ。もう!
なんてメールを、朝6時に送りつけられた方には謹んでお詫び申し上げます。
あ、あくまでもしそんな方がいらっしゃったらの話ですけどね!
夕陽のガンマン、続も見た。え? え? あれ見てなんでイーストウッド? どー見ても一番かっこいいのリー・ヴァン・クリーフじゃね? え? え?
ほら、リー・ヴァン・クリーフ! もう超~~~~~~かっこいい!
ほら!!! こんな眼できる人他にいるか!? 何で? 何でこんな顔できるの? かっこよすぎる!!! 渋すぎる!! リアルアシェラッドさんじゃね?マジで!! マジで!!!
続・夕陽のガンマン、確かに長かった。南北戦争は別に絡めなくても…だって、戦争とリー・ヴァン・クリーフあんまり関わらないんだもん!
あとは白夜行(映画)観た。最初、さっさと堀北真希出せよ!と半ギレだったが、最後まで観てMVPは船越英一郎だった。比べてみると、ドラマ版は一般向けっていうか、原作よりとっつきやすい作りで、そのせいで多分テーマが軽くなってるんだろうな。その点では映画に軍配ですが、山田孝之はやっぱすごかったな。
堀北真希は、素が一番かも。バラエティの天衣無縫っぷりが最高かも。
人間は、自分の親をはじめとして、出自など、自らの根本を否定することのない枠の中で生きている。おそらく。親だとか、学校に上がれば同級生だとか、そういう、自分側に立つもの。そういう関係で肯定しあい、立ち位置を盤石にして、それをテリトリーにする。
そのテリトリーが、規範。道徳とは別の、守って生きていく何か。それを破るとどうなるかって、どうにもならないじゃない、なんて思うのは枠のない人間。破ると、壊れるよ、枠が。
大勢が集まるほど、枠は堅固になる。ということもあったりなかったり。だからなのか、群れるのは。
肯定より、尊重なんて。きれいごとなのかな?
なんかさ、悪いものって同じとこに溜まるよね。いいものはそうでもないのに。ゴミ捨て場が決まることは公共の利益になるからか。そうだね。そうなれば他の人は、そこに近づかなければいいだけ。
人のセックスを笑うなって笑われたくなかったら人にセックスを知られるなと毎回このタイトル見るたびに思う。何で笑われてるんだよ。知られてるからだろうが。セックスを何で知られてるんだよ。
こ…今月すげえー!
夕陽のガンマンやるぜ? 続もやるぜ? ジョン・ウェイン特集もやるぜ?
うわー! 観る!!
ジョン・ウェイン特集は18日からだぜ?
「両国で大量ゴックン」なんていってる力士エロ漫画どこかにないかな。あ、行司でも別にいいですけど。
あと「ヴァンパイア力士」。吸血鬼が出るという洋館に踏み込んだ主人公の前に現れたのは、大銀杏にまわし姿の小結であった。空腹でしきりに「ちゃんこ・・・ちゃんこ・・・」と呟く小結を伴い洋館の奥へと探索を続ける主人公に、突如、首に鋭い痛みが! 力士の鋭い牙に倒れ、朦朧とする意識の中で、主人公は思い出していた。相撲取りの食事はすべてちゃんこ! ごっつぁんです! カレーナマステ! パスタナポリ! 昔、ヤングアニマル嵐の読み切りに書いてあった! そして鮮血に塗れた力士はつぶやく「血ゃんこ・・・」。
私はスモウに造詣が深い。
ふと、毎晩寝しなにリモンチェッロを一杯飲む生活をしたいと思い立ち、自分で作ってみたのですが(クックパッド見た)、こんなに強い酒でしたっけ・・・・・・。ほんの50ccくらいでフラフラなんすけど。それと上の内容とは全く関係ありませんのですけど。しかしリモンチェッロは旨い。食物を香りと触感重視で選別する私は、レモンの匂いに包まれるだけでも幸せ。
「11人のカウボーイ」がとてもいい話だった。という話。
そもそもあらすじが、「老人が」「少年たちを」「一人前に」「育てる」なんて、何それ萌え作文?てなもんなんですけど。実際観てみたら、萌えてる暇はなかった。ジャンプの三本柱風にいうなら、試練・友情・成長。丁寧に描かれた成長譚で、実は復讐譚でもある。成長譚も復讐譚もかなり好き。
中学生のとき。台風の日に、タバコを買いに行かされたことがあった。
遠くを見て泣くことと、近くを見て泣くことがあると思う。何だかそう思う。泣くしかないのと笑うしかないのが多分同じであるように。
井上雄彦がインタビューで、全てのものは良い悪いではなく、ただ、そこに在るんだと思うようになったと言っていたけど、じゃあ今は、ホモを否定したりしないのかな? あの人がホモを嫌ってるのはすごくよくわかる。あの人が大事にするものとはあまりに相性が悪い。まあ、それはそれなんだけど。
私は、ノンケというかむしろ女好きくらいの男性作家さんが作中にホモ描写を入れてくれるとすごく嬉しくなるんですが、なんかそれって、「在る」って感じるからなんですよ、多分。なかったことにするんじゃなくて、在るのは在ると。それが良いとか好きとか思わなくていいけど、「在る」ということは現実だと、それを大袈裟でなく認めてるのがいい。
在るものを頑なにないことにするって、浮気して家出した旦那が離婚届持ってきてもまだ「あの人は私を愛してる」って唱え続けるようなどうしようもない袋小路ではないか? 行き詰まりの壁に向かっても、何も見えないでしょう?
例えば私は幽霊は信じないしどちらかといえば「無い」派なんですが、それは幽霊いる派の人たちが、何にも見えてないような目をしてるからです。自分の目の前に勝手に用意したキャンバスとだけ睨み合ってるような。
でも仮に、幽霊とは人間の脳波のエネルギーであり、それが肉体の死によって完全に消滅せず、まだ解明されていないエネルギー変換によって形を変えたものが霊だ、とでも言うのなら、個々の事例によっては「在る」と考えるでしょうね。解明されていない何かを仮想して名前をつけただけなのだから、それは「在る」。
「在る」ことと「在ると思う」ことを混同してはいけないというのは至言。