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ワンピースってすごくあいのりそうなのにあいのらないとこが女子の心をつかんだんだろうな。安定的集団関係。好きだよなー、女子は。つーか特に、少女漫画に乗り切れない女子。女を売りにしなくても大事にされる環境。
あいつらあいのればいいのに。あいのりって、そのうちどっかの週刊誌で「実は旅行中にメンバー同士でセックスしてました!」みたいな記事が出て、「実際はBまでしかしてないけど謝罪します」みたいな反論がなされて、誰への謝罪やねん!てつっこまざるをえないような展開が絶対あると思ってたのになかったのは少し残念です。
ん? 寧ろワンピースはあいのったってことか? 絶対に手を出されないままに大事にされてるのがあいのりか?
悟飯が素敵すぎる!! 何あいつ!! ドラゴンボール界で一番高倉健!!!! マジかっこいいかっこいいかっこいい!!!
言わずにおれんかった! ゆるせ!
岡本喜八の後のガンダム(Z)は殊更に虚しいな。
ということで気づいた。あれね、決して現実じゃないのよ。
岡本喜八の戦争(絡み)映画は、現実なの。太平洋戦争経験から生まれてるの。自分にとって現実であった戦争。
対してガンダムはベトナム戦争なんだよね、多分。日本においては戦後すら既に終え、生活に人間らしさを取り戻した日常に、地続きの異国の現実として与えられたショッキング映像。報道としての、視覚的にのみクリアーな戦争。その間接的なショックを「これが戦争の現実だ」と突きつけられても、それって伝言ゲームじゃないか。手元に届いたそれは決して戦争でも現実でもないよ。
これが、私が長らく感じていた80年代の物語作品の居心地の悪さかも。映像技術の進化によってもたらされた異国のショッキング映像を、「現実」として突きつけられる茶番感。現実も何も、描いてるあんた自身が映像しか見てないじゃん。ああ、萩尾望都の「なのはな」に抱いた違和感もこれと同じだ。
80年代は映像偏向の時代だったのかな。でも鮮明な映像は、そこに重点を置くのなら報道やドキュメンタリーでいいよ。わざわざそのショックを物語に起こして「戦争反対」だの「戦争の悲哀」だのとわかりきったテーマを強調しなくてもさ。しかも最終的には軟弱なヒロイズムに収束するんだもの。戦争を題材にしておいて、結局自己実現かよと。ある意味ひどい驕りですよね。
で、バブルが弾けて余裕がなくなって、やっぱり現実ってこんなもんだよと開き直ったのが90年代という感じ。80年代は本当に居心地悪かった。
どうもこんにちは。嫌いなのは集団での非合理性であって個人の非合理性なら寧ろ愛せると気付いた、埒です。
集団が滞ると邪魔じゃん。バカバカしいじゃん。でも、1対1なら、寧ろそういうところを愛せないなら、付き合う理由がないでしょう? 他の非合理性を愛すること、それ即ち、愛着。
バガボンドを引き続き読み返していますが、この人、男が好きだよね。ぬいぐるみとプラモデルならプラモデルを選ぶのと同じレベルで。止まっている柔らかさより動いているものの強さと美しさの方が興奮するのだから仕方がない。ある意味子供なのだろうけど。女は好みの女以外には特に興味がないみたい。ある種の敬意のようなものは感じるけど。それはどちらかといえば穏やかで受動的な姿勢。でも男になら、その生き方に関わる何もかもが気になるし、あらゆる感情を掻き立てられる。
でも、あしたのジョーも北斗の拳もそうだよねえ。だから男を描いて、男についての結論を出すわけで。興味の対象は男だけ。
好きって、主に愛着だと思うのね。少々の欠点は許せるおおらかさ。相手にスペースを与えたり譲ったりできること。寧ろ心の中のそのスペースに住んでいてくれると落ち着くくらいの。
そこで相手がスペースに嵌らなくなったときにもそれでも受け容れられるなら、それは、きっと愛。
まとめが無理やりだったな。
そういえば、最近深夜食堂読んでないわ。ふとその存在に気づいて自然に読むようになって(もしかして第1回?)、いつの間にか自然に読まなくなったな。長年のオリジナル読者です。ゴーダ川柳は読み逃しもあるかもしれないけど一応読み続けてる。浮浪雲はオリジナルを見かけてさえいれば漏らさず読んでる。
宇宙兄弟は飽きて読まなくなったけど、ライスショルダーは何だかんだで相変わらず面白い。
そして左きゝの拳銃に続いてトム・ホーン観て気づいたけど、私 、西部劇好きだわ。あの人生観が好き。任侠ものといっしょだよね。自分はこうで、世の中が変わっても変わらないし変われないし、合わなければ死ぬだけだ。っていう、我を通すための潔さ。曲げられない我はいつかは折れるのだ。ジョジョ7部もその空気はあった。そういうとこ好きだ。
結局、子供の頃に好きだったものは、ずっと近くにあって、つかず離れず、一生心の中にあるような気がする。近くなのか、心の奥深くなのかわからないけど、見えないところ。
イブラヒムおじさんとコーランの花たち。
イブラヒムおじさんがひたすら素敵で、最後が本当に辛くて泣いてしまった。本当にイブラヒムおじさんの魅力だけで打ち震えるくらいの映画でした。
あとさ、アニメついに終わったけど、キューティクル探偵因幡、面白いねえ。2期ありそうって話だけど。タイ行くからあんま関係ない気もするけど。
最近、Renta!の広告でよく見る「ただの棒だ」が死ぬほどうざい。衝撃的な台詞と思ってんのかね? あんな陳腐な表現を。読者にとっては衝撃的なの?
女にウケようと思ったら、主役というか話の中心を、2人に絞る必要があると思う。とりあえずさ、2人だけを抽出して楽しめるようにしないと。ほんとにさ、女の脳って二次元なのね。1対1の相関しか認識できないのよ。こういうとこが、女の理系への向いてなさの根本だよね、多分。且つ、そこを指して女は馬鹿だと言われるなら、否定はできない。勘違いされないよう断っておくけど、決して、男と較べてという話じゃなくてね。
ただひとつだけ例外はある。女が、2人以上の人間の相関に入り込める場合、それは、全員を「家族」というくくりでひとつと認識できる場合だ。
というわけで、女人気を得る漫画だの何だのは、カップリング固定ができる、家族的な絆がある、というような特徴があるように思うのです。カップリングに注目してれば話を理解できなくても楽しめる女の子たちの脳内も、おそらくこれで説明がつくと思のですよ。どうかね。
相棒11を全部見て、成宮の演技の下手さがいっそ笑えてきた。この下手さを利用して何らかの作品を成せないものかね。
成宮と松潤をぶつけてみるのはどうか。あの二人のデスノートとか。演技下手同士でデスノートって、これまた酷い茶番ですがな。映画2時間として、そのうちの5分くらいを見たい。
八ツ墓村見たら、バガボンド読みたくなったので、また読んだ(途中)。
うん、この人岡山知らないな! これ以上この作品に岡山感を求めるのはやめよう。これは岡山の話ではないよ。
八ツ墓村の岡山感が完璧すぎたんだな。わかる。わかるよ。私も作州ではないけど、金田一が今にもやってきそうな村で育ったからね。
オペラ座の怪人は、別にオペラがダメってんじゃないけど、も~~~~少し無駄を省けないもんかね? テンポ悪いと思う私は文化人ではないのか。
荒川アンダー・ザ・ブリッジは出てくる男の人がみんなかっこよかった。とっても。
http://blog.livedoor.jp/christmas1224/lite/archives/7800332.html
一応おいとく。自分メモ。