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水城せとなのインタビュー読んで、心底同意した。あの人の恋愛論には、リアルな線で完全同意する。
ほんとにさあ、してもしなくても全然構わないことをあえて他人と為すというんだから、勿論そこで行われる・起きることはすべてお互いの自己責任だし、当人同士の間で合意が取れているならば、外野からの裁きも否定も踏み込む余地なんかないのですよ。だからこそ、童貞や処女の語るセックス論は鼻で笑われるわけで。どこで誰と誰がどんな何をしようとも、すべてアリ。恋愛には何でもアリ。一つ一つを拾うなら、そういうもの。禁じ手なんかありゃしない。
一方、総体的に論じるならば、傾向として、甘え根性のルックスだけは一級のバカ女がモテるなんて仕方ないことじゃない。男が顔と体でしか女を判断しない? だから何? それって当然のことでしょ。だって、恋愛なんて好きでやってるんだから。義務でも権利でもない。それに、女だって男のこと言えないじゃん。女がその恋愛脳ゆえに自分の恋愛にあれこれ理由つけて正当化してる間に、男が本能とフィーリングに正直に恋する相手を選んでるのが腹立つんだろうけど。自分の(正当化のための)努力がバカみたいで。
多分、水城せとなという人は、他人と解り合えないということに免疫がある人なんだろうな。他人が自分に都合よくなんて動いてくれるわけがないって現実を嚥下してる。というか、何でそうできない人がいるのかとわたしなんかは思うけど。でも、そう思ってりゃうまくいくわけじゃないからね。いろんな人がいてこそ社会も世界も成り立ってるから、別にいいし仕方ないんだけど。
と、ここまでその恋愛論を大絶賛しておいてなんだが、だからといって水城せとなの恋愛漫画が好きかというと、そうでもない。うん。同棲愛だけでいい。
その他は、普通なのよ。当然で普通の恋愛のそれぞれが描いてあるだけなので、個人的には特に面白くない。「ああ、わかる!」というほどでもなく、恋愛は何でもありなんだからあれもこれもそれだってありだよね、という例が羅列されているだけなので、特に心は動かされない。痛々しいエピソードなんかが多分この人の作風の売りなんだと思うけど、まあ、普通の痛々しさなので、身近な人の恋愛話としてならともかく、フィクションとして読んで面白いほどのものでもない。
が、あっちこっちでもっと、この人のインタビュー載せてくれないかな。そのほうがずっと読みたい。それと照らし合わせるためになら、もしかして著作も読みたくなるかも。なんて、何様だ。
ブクマ記事の割合増えたなあ。
腐女子の生態が知りたい http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52541479.html
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これ立体視すると凄い http://mamesoku.com/archives/3389673.html
これ、見えた人教えて! 最初のしか見えない。
人は一人では生きていけない。その言葉の真偽を問う前に、その表す意味を正確に理解しているのか自分は。
人間は、自分と切り離して恋愛の話をすることができないのかもしれない。というわけで、わたしは今後、極力他人に恋愛の話を振らないことに決めた。遅まきながら。
恋愛って、当事者同士で合意がとれているのなら基本何をどいれだけどうしてもかまわないのですよね。というのを大前提として、「でも、論理的に考えたらもしこうならこうすべきだよね。(勿論、当事者がそれでいいならそうしなくても構わないんだけど)」という話が、あまりに他人に通じない。というか、長らく他人と恋愛の話なんてしてなかったので、他人には通じないということを忘れていた。のかもしれない。通じないのは若さのせい、まだ自分の中の恋愛に決着がついていないせいだと思ってたけど、仮にそれが理由だとしても、通じない人の方が世の中には圧倒的に多いのだと認識すべきなのだろうな、と、そっちにスタンスをシフトすることにしました。
考えてみれば、だからこそ、わたしには作品として受け入れがたい恋愛漫画が世間にはあふれているわけで。生焼け食わされるみたいな。恋愛の話なのに恋愛についての見方が個人的に偏って、論として成立してない恋愛漫画の多いこと。それって、需要があるからですよね。みんな恋愛については自分側に偏って結論をつけたいんだな。
関係ない話。先日の会話。テレビに井川遥が出てた。
「一回井川遥に会いたい。間近に感じたい。絶対すごいいい匂いすると思う。お風呂入ってなくても。ていうか、2日くらいお風呂に入ってない井川遥の匂い嗅ぎたい」
最初は同意してたダンナが、途中からひいてこっちを変態扱いしてきた。いや、ダンナも井川遥大好きなんだけどね。
でもせいぜい、あいつは井川遥のというか女全般、顔と体くらいなんだよな、好きなの。わたしは女がすごく好きなんです。その存在が。オーラみたいなものが何より好き。ああ、好き。これって、フェロモンを感じてるんじゃないだろうか。
杉本彩、井川遥、竹内結子、石原さとみ、フェロモン四天王。とか言ってるから、変態って言われるんですね。
最近ポケモンの映画の予告どころかOPやED聴くだけで泣いてしまう自分は本格的にヤバイのではないか。ポケモン主題歌集とか買ったら1週間は泣いて暮らせる自信がある。
ここのところの泣く理由の10割10分10厘がポケモンです。
ところでジャンプでとうとうバクマンが終わり、いぬまるも何か終わりそうですよね。今このふたつしか読んでないので、遂にわたしがジャンプを完全卒業する日がやってくるのかもしれないね。
いぬまるはここ一年ほど本気で毎週楽しみにしてたんだよなあ。バクマンの最終回はできれば朝基まさし先生の筆で読み直したい。朝基まさし先生といえば、サイコメトラー。萌えすぎる。あの子たちの普通の普段のあれやこれやが超癒し…。
一応。
http://www.araki-jojo.com/gengaten/
ただ、繁忙期とガッツリかぶってんだよなー。予約できねえ。夏休みだから特に空いてそうな日もないし。散歩のついでに行けたらってくらいの気持ちでいよう。
わかったので自分メモ。
わたしの中で、手塚治虫と宮崎駿、藤子F不二雄と鳥山明ってカテゴリ分けされてるんだけど、それは未来への展望と絶望という区別なんですね。
前者は、破滅論者。文明が進んだ先には、破滅が待っているという考え方。後者は、何だかんだいって未来を楽しみにしてる感がある。ロボットとか宇宙とかワクワクするじゃんて。F先生はブラックな発想からSFを描かれてもいるけど、それも未来に対する絶望ではないんだよね。警鐘を鳴らすなんて意図はない気がする。ただただ、あー、考えてみたらこういうこともあるよねって。でも、今だって同じくらいの悲劇ならあるしね、くらいの。お隣と仲良くやっていけるとは限らない。宇宙規模にお付き合いを広げた際の不都合だって、せいぜいその拡大版。それにその分、楽しみだって拡大はするしね。どうせ内的要因ではいきなり世界は変わったりしないんだから、人間という生き物の対応力・適応力をもってすれば、恐るるに足らずですよ。
という分け方があるね。わたしはどっちもそれぞれ好きだなあ。
レベルEは後者。荒木飛呂彦はハイブリッドか。あと何だ? ちょっと思いつかないけど。
もしくは、前者をヒューマニズム、後者をユーモアって言い換えることもできるかも。ヒューマニズムは非日常、ユーモアは日常。日常は勿論、非日常だって現実たりうるんだよなあ。
魔法少女で、あの終り方かあ・・・。魔法はわかる。魔法とあの終り方は繋がる。火の鳥未来編だっけ? あれをちょっと思い出したくらいなので、いいと思う。でも、「少女」と掲げておいて、あそこまでの大きなテーマはどうなんだろう。個人的には腑に落ちない。「魔法」「少女」の話なら、それについての結論がほしかったなあ。「魔法」って、うん、そうだね、「少女」って、そうだね、って。
具体的には、魔法少女が魔女になるということについて、もっと現実を振り返っても納得できるような答えがほしかったかな。「願いが呪いに、希望が絶望に」っていうのはすごくいいと思うんだけどね! そこにもっと「少女」を絡めた論として落とし込んでほしかった。なぜなら、わたしがそこに期待してたからなんだけど。
ほぼ関係ないけど、火の鳥って今読んでも全然古くないのが本当にすごい。神なんじゃないかと思うわ。ネットで言う意味の神じゃなくて、本当に神。人間を超越した存在。
でもあの話の展開の仕方とかリビドーの表現がダメって人はダメなんだろうなあとも思う。わたしは結構ヤケッパチのマリアや三つ目がとおるで性の感覚を植え付けられた人なので。そんなわたしでも奇子やきりひと讃歌はダメだもんな。
鈴木先生という作品(漫画)の気持ち悪さは、全篇ににおいたつ性的コンプレックスのせいみたいな気がしてきた。しかも発酵してる。性的コンプレックスの発酵、それは即ち、岡村隆史の最近の言動に顕著な、「童貞をこじらせた」感。
童貞はいいじゃん。処女も別にいいじゃん。恋愛・性交経験がない30代とか40代とか、それもいいじゃん。何の経験もスペックも持ち合わせていなくても、聖女を望んだって王子様を望んだっていいと思うよ。いや、わたしが許可を出すようなことじゃないんだけどさ、勿論。
しかし、いい年してそんなコンプレックスって、笑い飛ばせないものなんだろうか? いや、笑い飛ばせなくたって勿論いいんだ。どんな問題が大きいか小さいかって、それは完全に人それぞれだからね。でも、笑い飛ばせもしないコンプレックスを、「いい年して」、なんで外に出すんだ?
と考えてみたところで、その表現を好んで読む人がいるんだもんなあ。だから外に出すことも正当なんだろうなあ。
あの漫画はネタの選び方も表情の描き方も主人公の語り口調・諭し方も、全部、作者の(?)性的コンプレックスから養分を得て蔓延ってる感じがする。
中学生なんか所詮オスとメス、みたいな描き方は、ものすごく同意できるんだけどなあ。それを性的劣等感をもつ性的劣等者の観点から描かれると、何とも気持ち悪い。でも、その観点から描かれているからこそ、共感できるって人が少なからずいるんだろうなあ。
ドラマだと、作者のその視点が薄れるから見やすい。個人的にね。
東北ではまだ「女の子は勉強も仕事もしなくていいから結婚を」という考え方が強いということで、じゃあ、東北大学の男子学生なんか入れ食い状態じゃね?と思ってたけど、別にそうではないらしい。宮城県の女子の認識としては、東北大生はダサいのだそうだ。勉強しかしてなくてつきあってもつまらない、男としては好きになれないイメージ。
それは現地民がそう言うんだからそうなんだろう。
でも、それってどうなんだ。勉強も仕事もせずに結婚てことは、おそらく専業主婦希望なんですよね? じゃあそれが叶う結婚相手って、昨今の日本の経済事情下ではかなりの高収入が見込めないといけないわけで、まあ、それはいいとしてだ、更にそこに、恋愛対象としての資質まで求めるの? うわー、きた、強欲。
強欲ってつまり、パズルの枠にはまりきらないピースを入れ込もうとするイメージ。自分を取り巻く現状、自分の資質、それの所与の条件が枠。希望と願望と欲望と、それらの望みすべてがピース。その中にそれとそれとそれと・・・って、絶対無理でしょ。入らないでしょ。重なるでしょ、はみ出るでしょ、溢れるでしょ。
枠にあれもこれも入れたいなあって、空想するだけならば、別にそう、好きにすればいいんだ。心は自由だ。でも、主張しだしたあたりからどうかなあ? 要求し始めるともう完全にダメダメ。
いや、いいけどね。関係ないけど。
強欲って、論理的にものを考えられないが故の現象のひとつのような気がする。所与の条件を踏まえて考えるということができない。そのせいで生じる妄想・空想の歪に気づくことができないんだな。そしてわたしは、その歪を受け入れしまいこむ引き出しを持っていない。そういうことだ。